嶋上郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年6月22日 (日) 02:15時点におけるSaigen Jiro (トーク)による版 (基礎情報として、各郡に式内社掲載(プロジェクト‐ノート:神道#各郡記事の式内社の掲載についてに基づく)。)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:Pathnav

嶋上郡(しまかみぐん)は、摂津国大阪府にあったである。現在の高槻市(旧 南桑田郡樫田村を除く)・三島郡島本町に相当する。

歴史

古代

701年大宝元年)の大宝律令により、三島郡が三島上郡、三島下郡の2つに分けられて成立した。ほどなくして島上郡(嶋上郡)、島下郡(嶋下郡)と書かれるようになった。 和名抄では、「志末乃加美」とかかれており、その他の文献では、「三島縣三島郡」「津國御島」との表記も見られる。[1]

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社テンプレート:式内社一覧/header テンプレート:摂津国島上郡の式内社一覧 テンプレート:式内社一覧/footer

近代

1872年明治5年)8月、島上・島下両郡に跨っていた鮎川村(現:茨木市)の全域が島下郡に編入され59ヶ村となった。1873年(明治6年)10月5日、京都府より山崎村が編入された。1874年(明治7年)8月4日、淀川左岸の磯島村(現:枚方市)が河内国交野郡に編入された。[1]1879年(明治12年)2月10日、郡区町村編制法が施行され、高槻村(現:高槻市)の高槻城内に島上郡役所が置かれた。1881年(明治14年)1月6日、郡役所が島下郡茨木村(現:茨木市)の島下郡役所へ統合され、島下郡役所は島上島下郡役所に改称された。1896年(明治29年)4月1日、島上郡と島下郡が合併して三島郡となり、島上郡は消滅した。

歴代郡長

嶋上郡郡長一覧[1]
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
福井武 1879年(明治12年)2月21日 1879年(明治12年)7月12日
森脇惟一 1879年(明治12年)7月12日 1881年(明治14年)1月6日 廃官
廣瀨直澂 1881年(明治14年)1月8日 1883年(明治16年)12月18日 嶋下郡長兼任
白石純治 1883年(明治16年)11月29日 不詳 嶋下郡長兼任
廣瀨直澂 1887年(明治20年)12月28日 1890年(明治23年)6月16日 嶋下郡長兼任
白石純治 1890年(明治23年)6月16日 1893年(明治26年)5月31日 嶋下郡長兼任
深瀨和直 1893年(明治26年)5月31日 1895年(明治28年)7月10日 嶋下郡長兼任
岸正形 1895年7月10日(明治28年) 1896年(明治29年)(明治19年)3月31日 嶋下郡長兼任(嶋下郡と合併により嶋上郡廃止)

歴史的建造物等

関連項目

テンプレート:畿内五国の郡

脚注

テンプレート:Reflist

  1. 1.0 1.1 1.2 テンプレート:Citationテンプレート:全国書誌番号