嶋上郡
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嶋上郡(しまかみぐん)は、摂津国・大阪府にあった郡である。現在の高槻市(旧 南桑田郡樫田村を除く)・三島郡島本町に相当する。
歴史
古代
701年(大宝元年)の大宝律令により、三島郡が三島上郡、三島下郡の2つに分けられて成立した。ほどなくして島上郡(嶋上郡)、島下郡(嶋下郡)と書かれるようになった。 和名抄では、「志末乃加美」とかかれており、その他の文献では、「三島縣三島郡」「津國御島」との表記も見られる。[1]
式内社
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。 テンプレート:式内社一覧/header テンプレート:摂津国島上郡の式内社一覧 テンプレート:式内社一覧/footer
近代
1872年(明治5年)8月、島上・島下両郡に跨っていた鮎川村(現:茨木市)の全域が島下郡に編入され59ヶ村となった。1873年(明治6年)10月5日、京都府より山崎村が編入された。1874年(明治7年)8月4日、淀川左岸の磯島村(現:枚方市)が河内国交野郡に編入された。[1]1879年(明治12年)2月10日、郡区町村編制法が施行され、高槻村(現:高槻市)の高槻城内に島上郡役所が置かれた。1881年(明治14年)1月6日、郡役所が島下郡茨木村(現:茨木市)の島下郡役所へ統合され、島下郡役所は島上島下郡役所に改称された。1896年(明治29年)4月1日、島上郡と島下郡が合併して三島郡となり、島上郡は消滅した。
歴代郡長
氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
福井武 | 1879年(明治12年)2月21日 | 1879年(明治12年)7月12日 | |
森脇惟一 | 1879年(明治12年)7月12日 | 1881年(明治14年)1月6日 | 廃官 |
廣瀨直澂 | 1881年(明治14年)1月8日 | 1883年(明治16年)12月18日 | 嶋下郡長兼任 |
白石純治 | 1883年(明治16年)11月29日 | 不詳 | 嶋下郡長兼任 |
廣瀨直澂 | 1887年(明治20年)12月28日 | 1890年(明治23年)6月16日 | 嶋下郡長兼任 |
白石純治 | 1890年(明治23年)6月16日 | 1893年(明治26年)5月31日 | 嶋下郡長兼任 |
深瀨和直 | 1893年(明治26年)5月31日 | 1895年(明治28年)7月10日 | 嶋下郡長兼任 |
岸正形 | 1895年7月10日(明治28年) | 1896年(明治29年)(明治19年)3月31日 | 嶋下郡長兼任(嶋下郡と合併により嶋上郡廃止) |