酒井忠寄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年4月14日 (月) 06:38時点における神田小夜子 (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 武士 酒井 忠寄(さかい ただより)は、江戸時代中期の出羽国庄内藩5代藩主。左衛門尉酒井家7代当主。老中。官位は従四位下、摂津守、左衛門尉侍従。正室は前田綱紀の養女(浅野吉長の娘)。

生涯

庄内藩支藩・出羽松山藩酒井忠予の次男。本家の酒井忠真の子が早世し、嗣子がなかったため養子入りし、4代藩主・忠真の養嗣子となる。庄内藩は蝦夷警備と東北の外様大藩警守が任務で、通常幕府の役職に就かないならいであったが、忠寄は寛延2年(1749年)46歳のとき老中に抜擢された。老中在任中、宝暦騒動郡上一揆)始末の担当となり裁判を担当している。

明和3年(1766年)死去。家督は長男・忠温が継いだ。

経歴

テンプレート:酒井左衛門尉家当主 テンプレート:庄内藩主テンプレート:Japanese-history-stub