久世広明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年10月27日 (日) 13:37時点における27.140.9.100 (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

久世広明(くぜ ひろあきら、1732年1月20日享保16年12月23日) - 1785年3月4日天明5年1月24日))は、江戸時代中期の大名寺社奉行大坂城代京都所司代老中下総関宿藩第4代藩主。官位は従四位下、大和守。関宿藩久世家4代。

大身旗本久世広武の長男。兄弟に土井利剛(四男)、娘(巨勢利永正室)。母は松平忠根(五井松平家)の娘。正室は岡部長著の娘。子に久世広誉(長男)、久世広備(六男)、長谷川勝孚(七男)、土井利豊(八男)、久世広才(九男)、鈴木重逵(十一男)、松平広徳(十二男)、久世広侶(十三男)、娘(久世広楽正室)、娘(伊達村芳正室)、娘(久世広孝正室)。

1743年寛保3年)7月9日に関宿藩主久世暉之の養嗣子となり、1748年(寛延元年)8月に暉之が隠居し家督を継ぐ。

略歴

墓所は、東京都豊島区巣鴨5丁目の本妙寺


テンプレート:京都所司代 テンプレート:関宿藩主