松平忠国 (播磨国明石藩主)

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テンプレート:基礎情報 武士 松平 忠国(まつだいら ただくに)は、江戸時代前期の大名丹波篠山藩主、播磨明石藩主。藤井松平家嫡流第4代当主。松平信吉の長男。

生涯

元和6年(1620年)に父・信吉の跡を継いで丹波篠山5万石の藩主となり、慶安2年(1649年)に播磨明石7万石に加増転封された。

万治2年(1659年)、死去。享年63。

娘の一人・栄昌院は忠国の弟の家・伊賀守家へ嫁ぎ、甥・忠昭の正室となった。息子の3人には、自身が将軍徳川秀忠から拝領した一字「忠」を用いることなく、養祖父・勘四郎信一以来の「信」 をそれぞれにつけた。長男の信久は忠国の隠居前での不幸で、山城守を襲名せずに早世した。次男の信之が山城守家を継いだ。信之の弟・信重は新家を興し、5000石の旗本になった。


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