関税自主権
関税自主権(かんぜいじしゅけん)とは、関税を自由に決められる権利。
意味
ある特定分野において、自国産品が外国産品に対して価格・機能・品質等の競争力が劣る場合、自国産品が売れなくなり、付随する自国の産業が衰退する。それを避けるために、輸入外国産品に対し、輸入関税を掛けて流通価格を高くし、自国製品の劣位を補って、自国産業を保護する場合がある。
また、資源保護、自国経済コントロール、貿易摩擦回避等の理由により、自国の輸出産品の輸出量を調整するために輸出関税を設定する場合もある。
さらに、後進国の財政にとっては関税は貴重な税収減となりうる。
関税自主権とは、これらの背景を伴う関税を、自国で自由に設定できる権利を指す。
関税における主要な誤解
関税自主権を理解する上で重要な関税は、非常に誤解が多く、正確な理解を妨げるため、主な誤解を列挙する。
・関税をかけないと、競争力の低い産業が外国製品に負け、空洞化が進行して、自国が損をする。
→①空洞化はアウトソーシングの過程であり、貿易のメリットである。消費者は高効率産品を安価に利用でき、産業従事者は高効率な輸入品を利用して、有利に産業を営むことができる(例:サービス業、工業)。貿易相手国側は市場を奪ったことにより購買力が増大し、自国側は相手国および関連貿易国の購買力増大に伴って、優位産業をさらに振興し、双方が得をする。②空洞化は国内競争力の低下が原因であり、市場を外国製品に奪われるのは結果に過ぎない。完全な誤解。
・輸入が止まった場合に備えて、食料の自給を保つ必要があるので、関税による農業保護は必要である。
→よくある誤解。①現代の農産品は、他国の労働、工業製品、エネルギーの提供を基盤として成り立っており、関税で自国産業を保護しても、形だけの保護に過ぎない。②他の国内産業に対して不利になった農業を、関税では保護できない。例えば、日本の米農家は異例の高関税と補助金で優遇されているが、衰退産業であり、しかも衰退はさらに進行中である。
幕末・明治の日本
幕末の安政条約によって日本は関税自主権のないままの開国を迎えることになるが、当初は輸出税は一律5%、輸入税は1類(金銀、居留民の生活必需品)は無税・2類(船舶用品・食料・石炭)は5%・3類(酒類)35%・4類(その他)20%であり、神奈川開港の5年後には日本側から税率引上の協議を要求できる、関税賦課は従価税であるという日本側も決して不利益とは言えないものであった(従量税で引上協議の要求できない天津条約を結ばされた清朝中国に比べればの話であるが)。ところが、改税約書によって主要な輸入品89品目と輸出品53品目を当時の従価を基にした5%の従量税とし、無税対象を18品目・その他は一律従価5%に改められた。従価税であれば、価格が上昇すれば関税収入もそれに比例して上昇するが、従量税であれば価格に関わり無く量に応じた関税を払えばよく、幕末の混乱期のインフレによって事実上の関税免除に近い状態になってしまったのである。
そのため明治政府は、輸出関税自主権回復と領事裁判権撤廃に血道を上げることになる。欧米列強との間に初めて関税自主権を回復できたのは、日露戦争後に1907年に締結された日露新通商航海条約であった。その後、1911年にアメリカを始めとする他の列強は日本と平等条約(日米通商航海条約など)を締結し、完全な回復は現実となった。それに大きく貢献したのは、小村壽太郎である。