内藤忠政
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内藤 忠政(ないとう ただまさ)は、
- 内藤忠重の父、内藤清成の養父。三河の内藤氏の一族で、藤原秀郷(または藤原道長)の子孫を称し、丹波・周防の内藤氏とは同族であるとされる。四男・内藤政次の婿養子である内藤正勝は、信濃国岩村田藩祖となった。
- 内藤忠重の子。志摩国鳥羽藩の第2代藩主。本項で詳述する。
内藤 忠政(ないとう ただまさ)は、志摩国鳥羽藩の第2代藩主。同名の祖父である忠政と区別するためか、史書により忠種と記されることもある。浅野長矩の外祖父にあたる。
生涯
元和元年(1615年)、初代藩主内藤忠重の長男として生まれる。
承応2年(1653年)、父の死去により家督を継ぐ。父の時代による最悪な税制を改めるため、江戸屋作左衛門を登用して新田開発を行ない、さらに年貢も定免制度に改めるなどして財政再建を目指した。寛文9年(1669年)には領内に検地を実施して税制改革に成功を収めた。寛文13年(1673年)7月12日に死去した。享年59。跡を次男の忠勝が継いだ。