相木崇
テンプレート:Infobox baseball player 相木 崇(あいき たかし、1978年5月16日 - )は、熊本県熊本市西区出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
城西小学校4年生の時に野球を始めた[1]。西山中学で投手に転向し[1]、熊本市立商業高等学校に進学。3年時に夏の県予選でベスト4に入っている。
高校卒業後は福岡大学体育学部に進学し、同学野球部に所属。2年生の時にサイドスローに転向して球威が増した[2]。3年春[3]と4年春[4]には九州六大学リーグでMVPを獲得した。最速144km/hの速球などが評価され[1]、2000年のドラフト会議でオリックスから4位で指名され入団。契約金は7000万円、年俸は800万円(金額はいずれも推定)だった[5]。
1年目は1軍登板はなく2軍で9敗し、プロでは通用しないかも知れないと感じたという[6]。テンプレート:Byは金田政彦や戸叶尚の離脱もあって[7]7月21日に対ダイエー戦の先発投手として初登板したが、足がつって5回途中で降板[6]。2試合目の登板となった7月28日の対近鉄戦でプロ初勝利を完封で飾ると、8月5日の対ロッテ戦で2試合連続の完封を果たした。同年オフには第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選ばれている。
テンプレート:Byは先発ローテーションの一角に入り[8]、年末の選手分配ドラフトによりオリックス・バファローズに配分された。テンプレート:Byオフに前川勝彦との交換トレードで阪神へ移籍し、現状維持の年俸1,900万円(推定)で契約を更改している[9]。中継ぎとして起用されたが、テンプレート:Byオフに戦力外通告を受けた。
山本隆之に次ぐ先発の柱と抑えの確立を求めていた社会人野球の松下電器に誘われ、テンプレート:By1月1日付けで入社した[10]。同年の都市対抗予選では4試合全てに登板して1失点に抑える[11]など、リリーフとして活躍した。その後2011年限りで退部した。
プレースタイル
ひざの高さから球が出るサイドスローで、打者からは手元で浮き上がるように感じられるという[12]。速球は140km/hと速くはないが、ナチュラルに変化する[10]。右打者に対しては内角を強気に攻め[12]、外角へのスライダーとのコンビネーションで緩急をつけている[6]。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | オリックス | 15 | 7 | 2 | 2 | 0 | 2 | 4 | 0 | -- | .333 | 198 | 47.1 | 47 | 9 | 16 | 0 | 2 | 25 | 0 | 0 | 26 | 26 | 4.94 | 1.33 |
テンプレート:By2 | 9 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | -- | .000 | 146 | 28.2 | 55 | 5 | 9 | 0 | 1 | 12 | 0 | 0 | 39 | 35 | 10.99 | 2.23 | |
テンプレート:By2 | 37 | 5 | 0 | 0 | 0 | 3 | 5 | 1 | -- | .375 | 364 | 82.1 | 92 | 6 | 36 | 2 | 8 | 48 | 4 | 0 | 49 | 49 | 5.36 | 1.55 | |
テンプレート:By2 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | .000 | 111 | 25.0 | 33 | 0 | 5 | 0 | 1 | 11 | 1 | 0 | 15 | 12 | 4.32 | 1.52 | |
テンプレート:By2 | 阪神 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 54 | 12.2 | 12 | 1 | 4 | 0 | 2 | 8 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0.71 | 1.26 |
テンプレート:By2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 14 | 3.0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 2 | 6.00 | 2.00 | |
通算:6年 | 90 | 18 | 2 | 2 | 0 | 5 | 13 | 1 | 2 | .278 | 887 | 199.0 | 244 | 21 | 71 | 2 | 14 | 104 | 6 | 0 | 134 | 125 | 5.65 | 1.58 |
---|
記録
- 初登板・初先発:2002年7月21日、対福岡ダイエーホークス14回戦(福岡ドーム)、4回2/3を2失点
- 初奪三振:同上、3回裏に田口昌徳から
- 初勝利・初完投勝利・初完封勝利:2002年7月28日、対大阪近鉄バファローズ18回戦(大阪ドーム)
- 初セーブ:2004年5月15日、対北海道日本ハムファイターズ9回戦(Yahoo! BBスタジアム)、9回表2死に5番手で救援登板・完了、1/3回無失点
背番号
- 38 (2001年 - 2005年)
- 48 (2006年 - 2007年)
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:オリックス・ブルーウェーブ2000年ドラフト指名選手- ↑ 1.0 1.1 1.2 毎日新聞、2000年11月18日付朝刊、福岡地方面
- ↑ 毎日新聞、2001年1月12日付朝刊、熊本地方面
- ↑ 読売新聞、1999年5月24日付朝刊、福岡地方面
- ↑ 読売新聞、2000年5月22日付朝刊、福岡地方面
- ↑ 朝日新聞、2000年11月30日付朝刊、P.18
- ↑ 6.0 6.1 6.2 毎日新聞、2002年7月29日付朝刊、P.15
- ↑ 朝日新聞、2002年7月29日付朝刊、P.14
- ↑ 読売新聞、2004年12月30日付朝刊、P.16
- ↑ 読売新聞、2005年11月23日付朝刊、P.19
- ↑ 10.0 10.1 毎日新聞、2008年1月23日付夕刊、P.3
- ↑ 毎日新聞、2008年8月29日付朝刊、P.19
- ↑ 12.0 12.1 毎日新聞、2002年9月25日付朝刊、P.19