細川行孝

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細川 行孝(ほそかわ ゆきたか)は、肥後宇土藩の初代藩主。細川立孝の長男。

生涯

寛永14年(1637年)3月4日に熊本八代で生まれた。八代城主だった祖父・忠興は、熊本藩主・忠利たちの反対を押し切り、自分の隠居所である八代城と隠居領である八代領9万5,000石を可愛がっていた行孝の父・立孝(立允ともいう)に継がせ、八代支藩の設立を考えていた。

しかし正保2年(1645年)閏5月に立孝は死去、忠興も同年末に死去したため、八代は細川本藩領として、八代城代を本藩家老の松井家が代々勤めることとなった。

しかし、忠利の跡を継いだ細川光尚は、八代の代わりに宇土・益城郡内に3万石の領地を設け、立孝嫡男の行孝に授けた。ここに宇土支藩が成立したのである。

行孝の藩政における功績として、元禄3年(1690年)に上水道を設置したことである。これは当時、宇土の水質が悪かったためであった。同年6月4日、54歳で死去し、跡を三男の有孝が継いだ。

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