秋元富朝

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秋元 富朝(あきもと とみとも)は、江戸時代前期の大名甲斐谷村藩の第2代藩主。館林藩秋元家3代。

生涯

総社に生まれる。寛永11年12月30日1635年2月17日)、越中守に叙任される。寛永19年12月14日1643年2月2日)、父秋元泰朝の死去により家督を継ぐ。富朝は富士山の雪代の出水によって流出する田畑を守るため、赤松数万本を植林した(諏訪森)。これは現在も国有林として伝えられており、富朝の唯一の遺業とも言われている。

明暦3年6月17日1657年7月27日)、48歳で死去した。外孫の喬知が養子となって跡を継いだ。


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