アンスラックス
テンプレート:Infobox Musician アンスラックス(Anthrax)は、1980年代初頭より活動するアメリカ・ニューヨークのヘヴィメタル・バンド。同時期にデビューしたメタリカ、メガデス、スレイヤーと並んで、スラッシュメタル四天王(Big 4)と称された。現在はスラッシュメタルのジャンルにとどまらない独自の音楽性によって全世界に多くのファンを得ている。
目次
来歴
結成からデビューまで
1981年、ニューヨークにてスコット・イアンとダン・リルカによって結成される。メンバーは流動的ではあったが、ニール・タービン(ヴォーカル)、ダン・スピッツ(ギター)、そしてチャーリー・ベナンテ(ドラムス)の参加によってほぼ固定化された。当時の音楽性は、他の多くのメタル・バンドと同様、NWOBHMをアメリカ流に解釈して表現したものであったが、そこにニューヨーク・パンクの雰囲気を加えることにより独自の音楽性を確立していった。
1983年、アルバム『フィストフル・オブ・メタル』でデビュー。全米ツアーを行う。ところが、メンバーとの確執によってダン・リルカが脱退[1]。さらに、歌唱力にやや難のあったニールも解雇される。後任のベーシストにはバンドのローディを務めていたフランク・ベロが、ヴォーカルには実力派ジョーイ・ベラドナが加入した。
ジョーイ・ベラドナ期
新ヴォーカルのジョーイは、豊かな歌声と正確な音感に裏付けられた優れた歌唱力の持ち主であったが、それだけが彼の持ち味ではなかった。アメリカ先住民(いわゆるインディアン)の血を引くジョーイは、ステージ上でもインディアンの衣装や飾りを着用するなど強烈なアイデンティティを見せつけ、バンドのフロントマンとして存在感を発揮した。バンド全体としても、この時期、その音楽にファンクやインディアンのビートを取り入れるなどして新しいスタイルの構築に成功した。これにより、バンドは、後に登場するミクスチャー・ロック[2]の先駆的な役割を果たすことになる。1991年には、ヒップホップグループの雄パブリック・エナミーと共演し、シングル『ブリング・ザ・ノイズ』をリリース。ヘヴィメタルとヒップホップという異なるジャンルを見事に融合させ、ラップメタルという新たなジャンルを開拓した。
ジョン・ブッシュ期
しかし、1992年にジョーイが脱退してしまう。友好的な脱退とする報道がある一方で、ジョーイの内向的な性格に問題があったとも言われている。後任にはアーマード・セイントのヴォーカルだったジョン・ブッシュが加入。アーマード・セイントは正統派ヘヴィメタルバンドであり、前任のジョーイと比べるとジョンのヴォーカルはストレートでよりヘヴィメタル然としたものであった。しかし、ちょうどこの頃から時代の中心はヘヴィ・メタルから、彼らがその先鞭をつけたオルタナティヴ・ミュージックへと移行し始める。その結果、彼らの音楽性は時代に翻弄されていくことになった。ジョン加入後最初のアルバム『サウンド・オブ・ホワイトノイズ』は彼らが持っていた攻撃性とモダン・ヘヴィネスを融合させた作品で、ビルボードのアルバムチャート7位というバンド史上最大のヒットとなるものの、1990年代中期以降はメジャーレーベルが彼らとの契約を切り、バンドは地道な活動に終始せざるを得なくなる。この間にダン・スピッツが脱退[3]。後にロブ・カッジアーノが加入するまで4人編成で活動を行う。
リユニオン・ツアーから現在
2005年、ジョーイとダンが復帰し、1987年の『アマング・ザ・リヴィング』リリース時のラインナップで活動を再開。2006年10月14日には「LOUD PARK 06」で来日を果たすが、翌年には再びジョーイとダンが脱退する。
2007年、アンスラックスはスリップノット/ストーン・サワーのシンガーであるコリィ・テイラーと共に新曲の制作に着手する。このコラボレーションは最初は「遊び」として始まったが、徐々に真剣なものになり、一時はコリィが正式なメンバーになる可能性も取りざたされた[4]。
2008年、新ボーカリストとしてダン・ネルソン(ex.Disciplineなど)が加入し、ロブ・カッジアーノも復帰。一夜限りの来日公演も開催された[5]。
2009年、7月にダン・ネルソンが脱退。バンド側はダンの病気を理由のひとつに挙げているが、本人はこれを否定している。これにより秋に予定されていたニューアルバム『Worship Music』の発売は延期となり、急遽ジョン・ブッシュを呼び戻してフェスティバルのスケジュールを切り抜けた。
2010年、5月にジョーイが三度目の加入、入れ替わる形でジョン・ブッシュが脱退した[6]。同年夏にはメタリカ、メガデス、スレイヤーとともに「The Big 4」ツアーを行った。
2013年、1月にロブ・カッジアーノが脱退[7]。 カッジアーノは翌2月にヴォルビートに加入した[8]。
同年に行われるライヴツアーには、代役としてシャドウズ・フォールのリード・ギタリスト、ジョナサン・ドネイズが参加する予定である[9]。
2013年8月14日、ラジオ番組でスコット・イアンがジョナサン・ドネイズが正式に加入することを発表。
バンド名騒動
テンプレート:出典の明記 彼らのバンド名は英語で「炭疽菌」を意味する「Anthrax」。この名前は結成時にスコットらが百科事典でたまたま見つけた単語であり、「アンスラックス」という語感やスペルから、「これはメタルだ!!」と感じられたことから、バンド名に採用されたものである。しかし、このバンド名が2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ以降続発したアメリカ炭疽菌事件によって、不意にクローズアップされる事態となってしまう。メンバーは取材時にはその件についてはジョークを飛ばしてはいたが、一時はバンド名の変更を考慮するほどこの事件にショックを受け、公式にバンド名変更を検討する事を表明した。すると他のアーティストやファンから「バンド名を絶対変えちゃいけない。そのままにするべきだ」と激励の声が上がった。あるライブの楽屋でたまたまで会った元レッドツェッペリンのロバート・プラントからも「本当にバンド名を変えてしまうのかい?」と真剣な表情で心配されたという。そんな励ましの声に押される形で、あるイベントに出演した(演奏は無かった)際に、メンバー揃いの「俺達はバンド名を変えない」と書かれたツナギを着て現れ、正式にバンドの改名をしない事を表明した。その後、炭疽菌事件は終息した。
メンバー
現在のメンバー
- スコット・イアン– リズム・ギター、バッキング・ヴォーカル (1981–現在)
- チャーリー・ベナンテ – ドラムス (1983–現在)
- ジョーイ・ベラドナ - ヴォーカル (1984–1992, 2005–2007, 2010–現在)
- フランク・ベロ – ベース、バッキング・ヴォーカル (1984–2004, 2005–現在)
- ジョナサン・ドネイズ - リード・ギター、バッキング・ボーカル (2013–現在)
元メンバー
- ヴォーカル
- ジョン・コネリー (1981)
- ディルク・ケネディ (1981)
- ジェイソン・ローゼンフェルド (1981–1982)
- ニール・タービン (1982–1984)
- マット・ファロン (1984)
- ※ ニールが解雇された後、一時的にツアーに参加していた。
- ジョン・ブッシュ (1992–2005, 2009–2010)
- ダン・ネルソン (2007–2009)
- ドラム
- デイヴ・ウェイス (1981)
- グレッグ・ダンジェロ (1981–1983)
- リード・ギター
- ダン・リルカ (1981)
- グレッグ・ウォールズ (1981–1983)
- ボブ・ベリー (1983)
- ダン・スピッツ (1983–1995, 2005–2007)
- ポール・クロック (1995–2001)
- ※ 厳密には、サポートメンバー扱い。
- デイヴ・サボ (2000)
- ロブ・カッジアーノ (2001–2005, 2007–2013)
- ベース
- ケニー・クシュナー (1981)
- ポール・カーン (1981)
- ダン・リルカ (1981–1984)
- ジョーイ・ヴェラ (2004–2005)
- ※ フランクが他のバンドでの活動に専念していた頃、サポートメンバーとしてツアーに参加していた。