美祢線
|} 美祢線(みねせん)は、山口県山陽小野田市の厚狭駅から山口県長門市の長門市駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。
目次
概要
山口県を南北に貫く地域輸送路線であり、沿線には秋吉台・秋芳洞への玄関口美祢市や海上アルプスと呼ばれる青海島がある長門市などを控えている。かつては石灰石などの貨物輸送が多かったため、運賃設定上は幹線に指定された。
JR西日本広島支社の下関地域鉄道部が管轄する厚狭駅をのぞいて、全線を長門鉄道部が管理している[1]。広島支社独自で与えられているラインカラーは濃いピンク(テンプレート:Color)。
路線データ
- 管轄・路線距離(営業キロ):全長46.0km
- 軌間:1067mm
- 駅数:12(起終点駅含む)
- 美祢線所属駅に限定した場合、山陽本線所属の厚狭駅および、山陰本線所属の長門市駅[2]が除外され、10駅となる。
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:自動閉塞式(特殊)
- 最高速度:85km/h
- 運転指令所:広島総合指令所厚狭派出
運行形態
旅客列車
2010年(平成22年)3月13日のダイヤ改正以降、旅客列車はすべて各駅に停車する普通列車で、1 - 2時間に1本程度運転されている。ほとんどの列車が厚狭駅 - 長門市駅間の全区間で運行され、区間運転の列車は登校日の朝に美祢駅→仙崎駅間で運行される1本のみとなっている。約半数が山陰本線仙崎支線まで直通し、厚狭駅 - 長門市駅 - 仙崎駅間折り返し運転を行っている。保守工事のため、日中の上下2本の列車は月に1度月曜日(週は不定、2012年9月まで休日にあたる場合をのぞく奇数月の第4水曜日上下3本の列車だった)に運休し、バス代行となる。全列車がワンマン運転を実施している、
かつては線内を運行する急行列車として「あきよし」や「さんべ」が運行されていた(美祢線内は美祢駅と長門湯本駅に停車)。いずれも山陰本線益田方面から美祢線・山陽本線を経て九州に至る列車であるが、美祢線を経由する列車・編成は1985年に廃止されている。急行「さんべ」には益田駅で山口線経由の編成と分割、あるいは長門市駅で山陰本線経由の編成と分割後下関駅で併結するという変わった運行形態のものがあった。そのため、実質的に最短経路で運賃を計算できるように選択乗車の制度があった。なお、急行「さんべ」にグリーン車が連結されていたときは山陰本線経由ではなく美祢線経由の編成がグリーン車付きとなっていた。
また、急行列車の運転終了後、「北長門」(厚狭駅 - 長門市駅 - 東萩駅間)[3]・「金子みすゞ号」(厚狭駅 - 長門市駅 - 仙崎駅間)・「萩・津和野号」(厚狭駅 - 長門市駅 - 益田駅 - 津和野駅間)といった臨時快速列車も運転されていたが、いずれも運転が終了した。
貨物列車
貨物列車は美祢駅以南で運行されている。美祢駅と山陰本線岡見駅との間を山陽本線・山口線経由で1日1往復運転される専用貨物列車(通称:岡見貨物)で、牽引機はDD51形ディーゼル機関車[4]、貨車はすべてタキ1100形である。これは、宇部興産伊佐セメント工場で生産される炭酸カルシウムと中国電力三隅発電所で発生するフライアッシュを相互に輸送するものである。
かつては美祢駅から宇部線宇部港駅との間で石炭・石灰石運搬の専用貨物列車(DD51形牽引、貨車は石炭車のセキ6000形・セキ8000形)が昼夜を問わず多数運転されており、旅客輸送以上に収益をもたらしていて、当線が運賃設定上「幹線」とされていた所以であったが、主たる顧客であった宇部興産が自社の専用道路を開通させ、石灰石輸送をトラック輸送に移行させたのに伴い、宇部港駅向けの石灰石列車は1998年(平成10年)に廃止となっている。美祢線南部の各駅が十分な有効長を持つ行き違い施設を備えていることと、松ヶ瀬・鴨ノ庄の両信号場の存在は、石灰石輸送全盛時の設備増強に由来している部分が大きい。
また近年まで運行されていた系統として、重安駅と宇部線宇部岬駅との間で1日1往復運転される専用貨物列車が存在した。牽引機はDD51形・DE10形ディーゼル機関車、貨車はホキ9500形で、太平洋セメント重安鉱業所で生産される塊石灰石をセントラル硝子宇部工場へ輸送するものであった。これについては、ホキ9500形の老朽化に伴い2009年10月18日の運行をもって廃止となった[5]。
2013年7月の水害に伴う山口線の運休により貨物列車が運休となりトラックによる代替輸送に切り替えていたが、10月に発生した三隅発電所のトラブルに伴い貨物運送自体が取り止められていた。宇部興産が2013年度末に更新時期を迎える輸送契約の更新を行わないことにより、貨物輸送がそのまま廃止になる見通しであると報じられている[6]。
2010年の水害およびその状況
2010年(平成22年)7月12日から15日にかけて、山陽小野田市・美祢市では激しい豪雨に見舞われ、美祢線でも大きな被害を受けた。厚狭川の氾濫に伴い、湯ノ峠駅 - 厚保駅間の第3厚狭川橋梁が流失したほか、別箇所でも路盤が流失したため、7月15日に全線不通になった[7]。JR西日本の佐々木隆之社長は7月22日の定例会見の席で美祢線の復旧の目処が立っていない旨を明らかにし[8]、広島支社の杉木孝行支社長は28日の記者会見で、復旧には1年以上を要し、美祢線全線を集中制御しているケーブルが断線したため、被害が比較的少なかった区間を含めた部分的な再開が難しいとの見解を示した[9]。
全線で早期の運転再開の目処が立たなかったため、JR西日本は7月21日からバス代行を開始した。バス代行による運行ルートは、当初は一部区間で平行する県道下関美祢線が同時に被災したため、厚狭駅 - 美祢駅間は美祢線から離れた国道316号を直行し途中駅を経由しなかった(26日以降は、美祢市が厚保駅 - 美祢駅間を結ぶ無料シャトルバスを県道復旧まで運行)が、県道の一部復旧に伴い8月7日から県道経由(厚保駅・四郎ケ原駅・南大嶺駅停車)と国道経由(湯ノ峠駅停車)の2系統で運行された[10]。
二井関成山口県知事は2010年(平成22年)8月11日の記者会見での質疑応答で、8月6日に西村亘副知事がJR西日本本社に早期復旧の要望を行った際に、「美祢線は近年の利用状況から、本来的には廃止をしたい路線と位置付けている」というような指摘がJR西日本の副社長からあったことを明らかにしており、早期復旧のために沿線の山陽小野田市・美祢市・長門市とともに利用促進対策を検討する場を設けることとともに、厚狭川の災害復旧事業と連携して美祢線の復旧をJRとともに進める意向を表明している[11]。これに対しJR西日本広報部は「廃線はあり得ない。副知事との面会でもあくまで復旧が前提だった」とコメントしている[12]。
その後の山口県とJRとの調整で、山口県は「JRの復旧対策を支援する観点」に基づき、河川管理上必要な河川改修事業費として2年全体で5億3千万円程度の予算措置を行うことを決め、初年度分として9月議会に補正予算として2億8千万円の予算案を計上し[13]可決された。美祢線復旧事業のスキームとしては、2004年の福井豪雨で足羽川にかかる橋梁が被災し、国と県が復旧事業費の一部を直接負担した越美北線のケースと類似しており、JRの復旧工事費の一部を直接補填するのではなく、本来山口県が河川管理者として実施すべき事業の一部(河道の拡幅、護岸の復旧及びかさ上げなど)を山口県からの委託によりJR西日本が一体的に施工し、橋梁のグレードアップ分(3径間ガーダー橋から単径間トラス橋への変更)および河川改修費用相当分として、当該箇所の全体事業費(約6億6,773万円)の約4分の3を国および山口県が負担するものである[14]。なお、そのほかの区間を含めた全線復旧に要する費用についてはJR西日本広島支社の小南雅彦次長が総額で約13億3,400万円かかる見通しを明らかにしており[15]、協定分以外の6億6,700万円についてはJR西日本が全額負担する予定としている。
復旧時期については二井山口県知事は「おいでませ!山口国体(2011年10月)の前には復旧をしてもらいたい」との希望を述べ[13]、JR西日本広島支社の小南次長は2010年12月の時点で「当社としても工事をなるべく短縮し、全力を挙げて復旧工事に取り組みたい」と強調する一方で、全線復旧の時期については「まだ申し上げられる状況にない」と述べていた[15]。2011年2月末の時点では広島支社の杉木支社長が前年秋に仮設道路が4回流された事を明らかにし「(天候が順調に推移するなど)理想的な状況が続けば間に合う可能性はゼロではないが、それはあり得ないし自信がない」「通常、災害発生から(復旧まで)3年かかるところを1年余りでやろうとしていることを、山口県にもご理解いただきたい」と述べ、国体までの復旧が難しいことを示唆していたが[16]、同年9月26日始発より全線で運転を再開した[17]。
使用車両
旅客列車はすべて気動車で、貨物列車はディーゼル機関車牽引で運転されている。
現在の使用車両
過去の使用車両
- 蒸気機関車
- 1918年の厚狭機関区には2900形と3300形が配置されており、2900形は厚狭-徳山間で、3300形は厚狭-大嶺間で使用された。
- 1930年12月正明市機関庫に8620形が12両配置され、続いて9600形4両が配置され正明市-厚狭間で使用されていた。8620形は増備され続け1941年には20両となった。9600形は戦時供出され、代わりに1938年にC58形が配置され、D51形も1948年ころから配置されるようになった。
- 一方厚狭機関区は1930年に厚狭分庫となり8550形が配置されていて厚狭-大嶺間で使用されていたが、1933年に厚狭駐泊所となりやがて機関車無配置となった。1948年に8620形が配置され厚狭支区となり1954年機関区に昇格。同年10月厚狭機関区にはじめてD51形が4両配置され8620形を置き換えていき、1972年3月時点で26両を数え大嶺地区の石炭、重安、美禰地区の石灰石のピストン輸送に使用された。しかし1971年11月にDE10形ディーゼル機関車が配置されるとDD51形ディーゼル機関車、DE11形ディーゼル機関車が続々と配置され、ついに1974年10月に無煙化された。
- ディーゼルカー
歴史
厚狭駅 - 南大嶺駅 - 大嶺駅間は、大嶺から産出される石炭を運ぶために山陽鉄道が1905年(明治38年)に開業した。翌年国有化され大嶺線となった。
南大嶺駅 - 重安駅間は、美祢軽便鉄道により1916年(大正5年)に開業した。のちに国有化され美禰軽便線となり、軽便鉄道法の廃止に伴い1922年(大正11年)に軽便線の呼称が廃止され美禰線となった。
重安駅 - 長門市駅間は、国鉄線として延伸された区間である。正明市(現在の長門市)駅までは1924年に開通した。その後、美禰線として東は宇田郷駅、西は阿川駅、北は仙崎駅まで延伸されるが、1933年(昭和8年)に正明市駅から先は山陰本線に編入された。なお、美祢線の表記となったのは1963年(昭和38年)のことである。
美祢線に編入後、大嶺支線と呼ばれていた南大嶺 - 大嶺間は1997年(平成9年)に廃止された[18]。
山陽鉄道→大嶺線
- 1905年(明治38年)9月13日:山陽鉄道 厚狭駅 - 大嶺駅間(12.2M≒19.63km)が開業。厚保駅・四郎ケ原駅・伊佐駅(現在の南大嶺駅)・大嶺駅が開業。
- 1906年(明治39年)12月1日:山陽鉄道が国有化。
- 1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定。厚狭駅 - 伊佐駅間を大嶺線とする。
- 1921年(大正10年)2月10日:湯ノ峠駅が開業。
美祢軽便鉄道→美禰線
- 1914年(大正3年)1月29日:鉄道免許状下付(美禰郡大嶺村大字大嶺北分-同郡同村大字大嶺西分間)[19]
- 1916年(大正5年)9月15日:美祢軽便鉄道 伊佐駅 - 重安駅間(3.4M≒5.47km)が開業。吉則停留場(現在の美祢駅)・上領停留場・重安駅が開業[20]。
- 1920年(大正9年)
- 1922年(大正11年)9月2日:軽便線の呼称廃止に伴い美禰線に改称。
全通以後
- 1924年(大正13年)
- 1925年(大正14年)
- 4月3日:長門三隅駅 - 萩駅間が延伸開業。
- 11月1日:萩駅 - 東萩駅間が延伸開業。
- 1928年(昭和3年)12月9日:支線 正明市駅 - 黄波戸駅間が開業。
- 1929年(昭和4年)
- 1930年(昭和5年)
- 1931年(昭和6年)11月15日:奈古駅 - 宇田郷駅間が延伸開業。
- 1933年(昭和8年)2月24日:山陰本線全通に伴い、本線 正明市駅 - 宇田郷駅間、支線 正明市駅 - 阿川駅間、貨物支線 正明市駅 - 仙崎駅間を山陰本線に編入。
- 1949年(昭和24年)1月1日:伊佐駅が南大嶺駅に改称。
- 1958年(昭和33年)7月25日:板持駅が開業。
- 1962年(昭和37年)11月1日:正明市駅が長門市駅に改称。
- 1963年(昭和38年)10月1日:美祢線に改称。吉則駅が美祢駅に改称。湯ノ峠駅 - 厚保駅間に松ヶ瀬信号場が開設。
- 1969年(昭和44年)3月29日:厚狭駅 - 湯ノ峠駅間に鴨ノ庄信号場が開設。
- 1973年(昭和48年)2月19日:蒸気機関車による厚狭 - 宇部間のピストン運転終了[24]
- 1984年(昭和59年)2月1日:南大嶺駅 - 大嶺駅間の貨物営業が廃止(大嶺駅の貨物営業は同年1月1日に廃止済み)。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が厚狭駅 - 重安駅間の第二種鉄道事業者となる。重安駅 - 長門市駅間の貨物営業廃止。
- 1988年(昭和63年)3月13日:南大嶺駅 - 大嶺駅間でワンマン運転開始[25]。
- 1989年(平成元年)10月2日:厚狭駅 - 長門市駅間でワンマン運転開始[25]。
- 1991年(平成3年)4月1日:長門鉄道部発足に伴い、広島支社直轄から長門鉄道部管轄に変更[25]。
- 1993年(平成5年)12月1日:キハ120形が運用開始[26]。
- 1997年(平成9年)
- 2009年(平成21年)10月18日:重安駅 - 宇部線宇部岬駅間の石灰石貨物列車がこの日を最後に廃止[5]。
- 2010年(平成22年)7月15日:大雨で橋梁や路盤が流失し、全線が不通になる[7]。
- 2011年(平成23年)9月26日:全線で営業運転再開[17]。
駅一覧
駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 接続路線 | 線路 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
厚狭駅◇ | - | 0.0 | 西日本旅客鉄道:山陽新幹線・山陽本線 | ∨ | 山陽小野田市 |
鴨ノ庄信号場 | - | 2.0 | ◇ | ||
湯ノ峠駅 | 4.2 | 4.2 | ◇ | ||
厚保駅 | 6.0 | 10.2 | ◇ | 美祢市 | |
四郎ケ原駅 | 3.0 | 13.2 | ◇ | ||
南大嶺駅 | 3.7 | 16.9 | ◇ | ||
美祢駅◆ | 2.5 | 19.4 | ◇ | ||
重安駅◇ | 2.9 | 22.3 | ◇ | ||
於福駅 | 4.9 | 27.2 | ◇ | ||
渋木駅 | 9.9 | 37.1 | ◇ | 長門市 | |
長門湯本駅 | 3.9 | 41.0 | | | ||
板持駅 | 2.3 | 43.3 | | | ||
長門市駅 | 2.7 | 46.0 | 西日本旅客鉄道:山陰本線・山陰本線仙崎支線 | ∧ |
厚狭駅と長門市駅をのぞいてJR西日本直営駅は存在しない。中間駅のうち、美祢駅のみジェイアール西日本広島メンテックによる業務委託駅であり、残りの9駅は簡易委託駅または無人駅である(簡易委託駅も全て個人商店への発券委託のみで、窓口業務はない)。
廃止区間(大嶺支線)
全線山口県美祢市に所在。南大嶺駅構内も含め大嶺支線の列車同士の交換不可。
駅名 | 営業キロ | 接続路線 |
---|---|---|
南大嶺駅 | 0.0 | 西日本旅客鉄道:美祢線本線 |
大嶺駅 | 2.8 |
廃駅・廃止信号場
廃止区間のものをのぞく。( )内は厚狭駅起点の営業キロ。
- 松ヶ瀬信号場:1997年廃止、湯ノ峠駅 - 厚保駅間 (6.6km)
- 上領停留場:1920年廃止、美祢駅 - 重安駅間 (約20.8km)
脚注
参考文献
- 川島令三編著『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線 (8) 山口エリア』講談社、2012年。ISBN 978-4-06-295158-6。
- 藤井浩三「中国地方ローカル線建設の歩みと蒸機」『蒸気機関車』NO.37、キネマ旬報社
関連項目
テンプレート:西日本旅客鉄道広島支社- ↑ データで見るJR西日本 - 西日本旅客鉄道
- ↑ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年。ISBN ISBN 978-4-533-02980-6。
- ↑ 平成11年【春】の臨時列車の運転について(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 1999年1月14日
- ↑ 鉄道ファン2012年7月号「JR車両ファイル2012 JR貨物」p.66
- ↑ 5.0 5.1 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 7.0 7.1 JR美祢線 国体までに復旧へ - 山口新聞 2011年7月14日
- ↑ 2010年7月定例社長会見(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年7月21日
- ↑ 「美祢線の復旧、1年以上かかる」 山口豪雨でJR広島支社長(インターネット・アーカイブ)- 産経新聞 2010年7月29日
- ↑ 大雨災害による公共交通機関不通に関するお知らせテンプレート:リンク切れ - 山陽小野田市
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ JR美祢線:「廃止」発言で食い違い JRが廃止したい/廃線はあり得ない /山口(インターネット・アーカイブ)- 毎日新聞 2010年8月12日
- ↑ 13.0 13.1 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ 15.0 15.1 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 17.0 17.1 JR美祢線が運行再開 豪雨災害から1年2カ月ぶり復旧 - 朝日新聞 2011年9月26日
- ↑ 18.0 18.1 美祢線(南大嶺〜大嶺間)の廃止について(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 1997年2月10日
- ↑ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1914年1月31日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1916年9月21日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ 「鉄道省告示第15号」『官報』1920年5月31日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ 『鉄道省鉄道統計資料. 大正9年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- ↑ 「鉄道省告示第101号」『官報』1920年10月26日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ↑ 『世界の鉄道』1974年版、194頁
- ↑ 25.0 25.1 25.2 ジェー・アール・アール編『JR気動車客車編成表 2010』交通新聞社、2010年、p.207。ISBN 978-4-330-14710-9。
- ↑ 『JR気動車客車編成表 '94年版』ジェー・アール・アール、1994年。ISBN 4-88283-115-5。
- ↑ 『JR気動車客車編成表 '97年版』ジェー・アール・アール、1997年。ISBN 4-88283-118-X。