松平綱近
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テンプレート:基礎情報 武士 松平 綱近(まつだいら つなちか)は、出雲松江藩の第3代藩主。直政系越前松平家宗家3代。第2代藩主・松平綱隆の四男。別名、綱通(つなみち)。
生涯
延宝元年(1673年)12月21日に元服し、父同様に将軍徳川家綱より偏諱を授かり綱周(初名、読み同じ)を名乗り、従四位下甲斐守に叙任される。延宝3年(1675年)4月、父の死去により同年5月晦日に家督を継ぎ、諱を綱近に改める。同年6月4日に出羽守に遷任する。同年12月26日に侍従を兼任する。財政が極度に悪化していたため、大梶七兵衛による開拓や製鉄・産馬の奨励、倉崎権兵衛による楽山焼の創始など様々な改革を行なったが、あまり効果はなかった。このため、「祖父直政には劣なるべし」と史書で批判されている。
晩年は眼病を患った上、息子の早世などもあって、弟の近憲(吉透)を養嗣子として迎えた上で家督を譲って宝永元年(1704年)5月29日に隠居し、大内記に遷任した。宝永6年(1709年)11月15日に51歳で死去した。
偏諱を与えた人物
綱近時代