磯部力
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テンプレート:存命人物の出典明記 磯部 力(いそべ つとむ、1944年(昭和19年)7月2日 - )は、日本の行政法学者。特に地方自治、環境法、都市法に関する論考が多い。元立教大学教授、東京都立大学名誉教授。カトリック教徒。
内務官僚で秋田県知事をつとめた磯部巌の三男[1]。慶應大学准教授の磯部哲は息子。
都立大学退官について
磯部は、都立大学の重要ポストを歴任しており都立大学に欠かせない人物であった。都立四大学大学改革の際にも、大学改革実施本部長として任にあたっており、学長に推す声も多かった(事実、学長候補として選出され、茂木俊彦と争った)。
しかし、改革案が「95%完成した」(もっとも客観的にそう言いうるかには異論もある)状況で、石原慎太郎都知事は2003年8月1日に突然「新たな都立の大学構想」を発表し、今までの大学改革案を一方的に破棄した。その内容の適否はともかく、都立大の意向・意見や大学改革を聞き入れない方法をとったがために、従来の改革推進派(その代表は磯部であった)・改革反対派を問わず多くの反発を招いた。
これに抗議する形で、磯部は2004年3月をもって長年勤めた都立大学を退職した(磯部は退職に関する理由説明で、涙ながら「(私たちが努力してきたことを)虚仮にされた」と語った)。この年は法学部から磯部教授を合わせて4人の退職者がでた。さらに翌年、行政法担当の同僚である人見剛(現立教大学教授)も抗議退職する結果となった。そのほかにも多くの退職者を出した。しかしながら、退職時に、名誉教授号の授与は受けた。この出来事によって「都立大行政法の伝統」が途絶えたと言われている。
略歴
略歴は以下のとおり[2]。
- 1963年テンプレート:03月 - 暁星高等学校卒業
- 1967年テンプレート:03月 - 東京大学法学部(第一類)卒業
- 1967年テンプレート:04月 - 住友銀行入行
- 1968年テンプレート:03月 - 住友銀行退行
- 1968年12月 - 東京都立大学法学部助手
- 1973年テンプレート:07月 - 東京都立大学法学部助教授
- 1985年テンプレート:04月 - 東京都立大学法学部教授
- 1989年テンプレート:04月 - 東京都立大学教養学部長(1993年3月まで)
- 1993年テンプレート:04月 - 東京都立大学評議員(1997年3月まで)
- 1995年10月 - パリ大学比較法研究所招待教授(1996年6月まで)
- 1997年テンプレート:04月 - 東京都立大学法学部長・社会科学研究科長(2001年3月まで)
- 2004年テンプレート:03月 - 東京都立大学依願退職
- 2004年テンプレート:04月 - 独立行政法人大学評価・学位授与機構特任教授、東京都立大学名誉教授の称号授与
- 2004年10月 - 立教大学法学部法律学科教授
- 2010年テンプレート:04月 - 國學院大學大学院法務研究科教授[3]
所属学会
- 日仏法学会(理事)
- 日本土地法学会(理事)
- 日本公法学会(理事)
- 日本自治学会(理事)
- 警察政策学会(会長)
社会的活動
- 国地方係争処理委員会委員
- 総務省 公害等調整委員会委員
- 国土交通省 社会資本整備審議会委員
- 環境省 中央環境審議会自然環境保全部会委員
- 厚生労働省 社会保障審議会社会保険部会委員
- 人事院 国家公務員採用Ⅰ種試験委員
- 行政書士試験委員
- 「(仮称)横浜環状北西線」有識者委員会委員長
- 財団法人計量計画研究所理事
- 財団法人森記念財団理事
賞
- 平成24年6月、磯部は環境保全功労者として環境大臣から表彰を受けた[4]。環境省では、6月の「環境月間」にあわせ、地域環境保全及び地域環境美化に関し特に顕著な功績のあった方、団体に対して、表彰を行っている[4]。