タトラ山脈
タトラ山脈(ポーランド語、スロバキア語:Tatry)は、ポーランド南部からスロバキア北部に広がる山脈。ポーランドとスロバキアの国境に位置し、両国の自然的国境を形成している[1]。東西約55km、南北約17kmでうち約80%がスロバキア領、残りの20%がポーランド領に含まれる[1][2]。スロバキアを象徴する山であり、スロバキアの国歌(Nad Tatrou sa blýska、稲妻がタトラの上を走り去り)にも歌われている[1]。
カルパティア山脈の北辺に含まれるタロラ山脈は最も高い山と変化に富んだ地形が特徴で[1][2]、結晶片岩、花崗岩、片麻岩からなる[3]。山脈の西側(Západné Tatry、西タトラ)は氷河地形と高原草地が混ざり合い、東側((Východné Tatry、東タトラ)は切り立った崖と氷河地形で構成される[2]。山脈に含まれる氷河地形には、カール、氷河湖、堆石地などが挙げられる[4]。東部でも特に険阻な地形はヴィソケー・タトラ((Vysoké Tatry、高タトラ/高タトリ)と呼ばれ[2]、スロバキアの最高峰ゲルラホウスキー峰(ゲルラホフスカ、約2654m)、スラウコウスキー峰などが連なっている[1]。山間部にはプレソと呼ばれる湖が点在する。ヴィソケー・タトラの南には、ニスケ・タトラ(Nízke Tatry、低タトラ)が東西約120kmにわたって広がる[5]。タトラ山脈という語は一般的にヴィソケー・タトラを指して使われるが、広義ではニスケ・タトラも含まれる[6]。景観保護のため、1949年にタトラ山脈は国立公園に指定された。動植物相が豊かな地域で[1]、マーモットやカモシカなどが生息する[2]。ポーランド、スロバキアの両方に、国立公園に関連する展示を行う博物館が開設されている[7]。
16世紀には、テンプレート:仮リンクで金の採掘が行われていた[8]。1944年のスロバキア民衆蜂起の際に、タトラ山脈はパルチザンの拠点となった[8]。また、20世紀に入ってタトラ山脈の観光地化が進められ、避暑地、ウィンタースポーツの施設が点在する地域となった[1]。ポーランド領のザコパネ、スロバキア領のスタリー・スモコヴェツなどが避暑地として知られている。スロバキア領では、多くの電車やバスの発着地であるポプラド・タトリがヴィソケー・タトラへの入り口となっている[9]。タトラ電気鉄道でポプラドと結ばれているスタリー・スモコヴェツが、滞在の拠点となっている[9]。タトランスカー・ロムニツァからは、タトラ山脈で3番目に高いロムニツキー・シュティートの山頂に向かうロープウェイが運行されている。
脚注
参考文献
- 千野栄一「タトラ山地」『世界地名大事典』2巻収録(朝倉書店, 1973年)
- 「地球の歩き方」編集室・編『チェコ ポーランド スロヴァキア(2011‐2012年版)』(地球の歩き方, ダイヤモンド社, 2011年4月)
- 長與進「タトリ」『東欧を知る事典』新訂増補収録(平凡社, 2001年3月)
- 沼野充義監修『中欧 ポーランド・チェコ スロヴァキア・ハンガリー』(読んで旅する世界の歴史と文化, 新潮社, 1996年2月)
- 三省堂編修所編『コンサイス外国山名辞典』(三省堂, 1984年8月)
外部リンク
テンプレート:Sisterテンプレート:Central-europe-stub テンプレート:Poland-stub
テンプレート:Mountain-stub- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 沼野『中欧 ポーランド・チェコ スロヴァキア・ハンガリー』、116-117頁
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 長與「タトリ」『東欧を知る事典』新訂増補、266頁
- ↑ 木内信蔵編『ヨーロッパ』3(世界地理, 朝倉書店, 1975年5月)、88頁
- ↑ 千野「タトラ山地」『世界地名大事典』2巻、732-733頁
- ↑ 『コンサイス外国山名辞典』、376頁
- ↑ 『コンサイス外国山名辞典』、291頁
- ↑ 「地球の歩き方」編集室・編『チェコ ポーランド スロヴァキア(2011‐2012年版)』、318,374頁
- ↑ 8.0 8.1 徳永康元、鈴木二郎、萩原直編『東ヨーロッパ』(世界の文化地理, 講談社, 1966年)、144頁
- ↑ 9.0 9.1 「地球の歩き方」編集室・編『チェコ ポーランド スロヴァキア(2011‐2012年版)』、373頁