北陸鉄道能美線
|} 能美線(のみせん)は、石川県石川郡鶴来町(現・白山市)の鶴来駅と能美郡根上町(現・能美市)の新寺井駅を結んでいた北陸鉄道の鉄道路線。1980年(昭和55年)9月14日に全線が廃止された。
鶴来駅にて北陸鉄道石川線の野町駅方面への直通運転が行われていた。
路線データ
- 路線距離(営業キロ):16.7km(最盛期)
- 駅数:21駅(起終点駅含む)
- 軌間:1067mm
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線(直流600V)徳久変電所、(能美電気鉄道時代)回転変流器(交流側450V直流側600V)直流側の出力150KW、常用1、予備1、製造所明電舎[1]
運行形態
1970年4月1日以降は日中の運行が休止されてバス代行となり、廃止時点では辰口温泉のみ交換可能、朝6時より10時まで約40分毎、夕方15時より21時まで約90分毎の運行であった[2]。
歴史
1922年(大正11年)、辰口温泉・湯谷鉱泉・辰口競馬場への観光の利便性向上及び九谷焼の原料・九谷焼そのものの輸送を目的とし、寺井野村の地主にして九谷焼商の酒井芳[3]を総代に29名が発起人となり、免許を申請。この発起人には、根上村長の森喜平や寺井野村長で石川県九谷焼陶磁器同業組合連合会会長の石崎蕃も名を連ねていた。
計画当初は軌間762mmの蒸気鉄道として、石川鉄道より改軌され不要になった蒸気機関車を譲り受ける予定であったが、軌間1067mmの電気鉄道に改め、翌1923年(大正12年)1月に鉄道大臣から認可を受け、同年9月に資本金60万円で能美電気鉄道株式会社を設立し工事が開始された。起点となった根上村(後の根上町)からは、設立目的からも分かる通り、積極的な姿勢ではなく3名のみしか発起人がおらず、一部地区では反対活動が行われるに至り、開通が遅れ、1925年中に新寺井-新鶴来(手取川左岸の天狗山トンネル入口付近)間が開通となった。
ところが新鶴来開通前後から重役間で紛争が勃発した。神田重義が主導権を握るべく小川徳三郎と結託し酒井芳の追放を謀った。これに対し酒井は神田を不正の疑いありとして告訴し神田は1925年12月収監されることになった。まもなく保釈になった神田は翌年8月の株主総会で酒井を追放して社長に就任し役員を半減させたのである[4]。ところがその後も神田は小川排除を謀ったことから役員は神田派小川派にわかれ互いに総会を開き解任決議を出す騒ぎとなり、法廷に持ち込まれることになった。1928年1月に金沢地裁の調停により和解をすることになったが第2期工事は遅れ1924年(大正13年)に敷設免許状が下付された小松町までの延長線は、小松から鶴来に計画を変更し、1931年(昭和6年)に天狗山トンネルと手取川鉄橋工事に着手して翌年1月鶴来まで開通となった。また林光義経営の粟生-小松間の旅客自動車運輸事業[5]を譲受け、1935年(昭和10年)4月27日に認可を得ると能美電バス[6]を設立し小松へ進出した。このバス事業は金沢電気軌道譲渡時には5路線 (53.1Km) を保有していた。
その後1939年(昭和14年)6月17日の臨時株主総会で68万5561円1銭で金沢電気軌道に譲渡することを決議した。また能美電バスも譲渡されることになった。
年表
- 1923年(大正12年)
- 1924年(大正13年)8月15日 鉄道免許状下付(能美郡寺井野村-同郡小松町間)[10]。
- 1925年(大正14年)
- 1926年(大正15年)
- 1932年(昭和7年)1月16日 天狗山 - 鶴来間開業(手取川橋梁(天狗橋)と天狗山隧道開通)、新鶴来駅を天狗山駅に改称[16]。
- 1934年(昭和9年)7月11日 大雨により、手取川橋梁が流出並びに手取川堤防決壊に伴い路盤が流失し、運行休止(1935年4月20日復旧)。
- 1935年(昭和10年)9月1日 寺井西口 - 本寺井間に自動車連絡駅開業。
- 1939年(昭和14年)8月1日 金沢電気軌道に譲渡され[17]、同社の能美線となる。
- 1941年(昭和16年)8月1日 北陸合同電気(現在の北陸電力)設立にあわせて金沢電気軌道を合併。
- 1942年(昭和17年)1月27日 北陸合同電気が保有路線を北陸鉄道に譲渡。
- 1946年(昭和21年)以降 自動車連絡駅、天狗山駅廃止。岩内駅を加賀岩内駅に、三口駅を三ツ口駅に改称。
- 1951年(昭和26年)6月30日 濁池駅廃止。
- 1956年(昭和31年)4月1日 辰口駅を辰口温泉駅に改称。
- 1968年(昭和43年)12月30日 貨物営業廃止。
- 1970年(昭和45年)4月1日 昼間時の運行休止。
- 1980年(昭和55年)9月14日 全線廃止。
- 2007年(平成19年)12月31日 能美線代替バスも廃止。
駅一覧
駅名および所在地は廃止時点のもの。全駅石川県に所在。
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
鶴来駅 | - | 0.0 | 北陸鉄道:石川線 | 石川郡鶴来町 |
本鶴来駅 | 0.3 | 0.3 | ||
岩本駅 | 1.2 | 1.5 | 能美郡辰口町 | |
灯台笹駅 | 0.7 | 2.2 | ||
宮竹駅 | 1.4 | 3.6 | ||
三ツ口駅 | 0.8 | 4.4 | ||
加賀岩内駅 | 1.0 | 5.4 | ||
火釜駅 | 0.7 | 6.1 | ||
来丸駅 | 0.4 | 6.5 | ||
辰口温泉駅 | 1.1 | 7.6 | ||
上開発駅 | 0.6 | 8.2 | ||
徳久駅 | 1.1 | 9.3 | ||
湯谷石子駅 | 1.6 | 10.9 | 能美郡寺井町 | |
加賀佐野駅 | 0.6 | 11.5 | ||
末信牛島駅 | 0.7 | 12.2 | ||
本寺井駅 | 0.8 | 13.0 | ||
寺井西口駅 | 0.8 | 13.8 | ||
五間堂駅 | 0.3 | 14.1 | 能美郡根上町 | |
中ノ庄駅 | 0.7 | 14.8 | ||
加賀福岡駅 | 0.6 | 15.4 | ||
新寺井駅 | 1.3 | 16.7 | 日本国有鉄道:北陸本線(寺井駅) |
本寺井駅 - 寺井西口駅間のうち、用水路の鉄橋を渡った寺井西口駅寄りの一部(数メートル程度ではあるが)は小松市である。
輸送・収支実績
年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1925 | 228,510 | 3,648 | 32,914 | 25,254 | 7,660 | 雑損146償却金500 | 14,491 | 13,376 |
1926 | 498,980 | 13,303 | 82,961 | 59,663 | 23,298 | 雑損5 | 22,054 | 40,116 |
1927 | 525,564 | 15,871 | 92,986 | 69,588 | 23,398 | 21,061 | 32,707 | |
1928 | 496,946 | 20,899 | 92,294 | 68,600 | 23,694 | 雑損957 | 18,633 | 32,120 |
1929 | 483,750 | 16,672 | 88,470 | 66,861 | 21,609 | 雑損545 | 17,636 | 34,653 |
1930 | 473,113 | 12,431 | 76,752 | 61,804 | 14,948 | 雑損2,672 | 16,154 | 40,613 |
1931 | 378,850 | 11,096 | 67,806 | 56,793 | 11,013 | 雑損1,557 | 16,010 | 35,229 |
1932 | 370,879 | 11,068 | 68,324 | 52,188 | 16,136 | 雑損4,164 | 23,263 | 42,059 |
1933 | 378,143 | 15,969 | 74,082 | 61,317 | 12,765 | 雑損94 | 22,915 | 44,330 |
1934 | 388,711 | 17,672 | 76,268 | 76,739 | ▲ 471 | 雑損償却金9,652 | 18,337 | 44,416 |
1935 | 438,569 | 19,245 | 83,724 | 47,325 | 36,399 | 雑損36,698自動車50 | 17,827 | 25,272 |
1936 | 477,313 | 20,094 | 92,088 | 58,099 | 33,989 | 雑損償却金1,599 | 17,142 | 8,715 |
1937 | 557,678 | 21,662 | 102,540 | 61,302 | 41,238 | 雑損償却金36,498 | 15,396 | 10,527 |
1939 | 487,329 | 13,147 | 76,765 | 55,165 | 21,600 | 雑損償却金23,258 | 8,935 | 9,794 |
- 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
車両
能美電気鉄道時代
- デ1 - 3 開業時に新製された1924年日本車輌製の木製単車(定員40人)。北陸鉄道モハ541-543最後は電気機関車となった。形式図[18]
- デハ8 1930年日本車輌製の半鋼製単車(定員52人)。北陸鉄道モハ621最後は電気機関車となった。
- デハ301 1937年木南製の半鋼製ボギー車。北陸鉄道モハ1201
脚注
参考文献
- 『北鉄の歩み』北陸鉄道、1974年、67-68頁
- 石林文吉『石川百年史』石川県公民館連合会、1972年、765-767頁
- 宮田雄作「昭和24・30年代の北陸鉄道の車両」『レイル』1980Summer
関連項目
テンプレート:北陸鉄道- 元の位置に戻る ↑ 『電気事業要覧. 第21回 昭和5年3月』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- 元の位置に戻る ↑ 服部重敬「富山地方鉄道・北陸鉄道車両現況」『レイル』1980Summer、60頁
- 元の位置に戻る ↑ 1913年当時農林省農務局「五十町歩以上ノ大地主」において石川県最大の地主
- 元の位置に戻る ↑ 『日本全国諸会社役員録. 第34回』と『日本全国諸会社役員録. 第35回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- 元の位置に戻る ↑ 『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- 元の位置に戻る ↑ 『日本全国諸会社役員録. 第44回(昭和11年)』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- 元の位置に戻る ↑ 「鉄道免許状下付」『官報』1923年6月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 元の位置に戻る ↑ 『日本全国諸会社役員録. 第32回』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- 元の位置に戻る ↑ 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
- 元の位置に戻る ↑ 「鉄道免許状下付」『官報』1924年8月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 元の位置に戻る ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年3月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 元の位置に戻る ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年6月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)によると、天狗山駅の開業時の駅名は「新鶴来駅」。
- 元の位置に戻る ↑ 「地方鉄道運輸開始並営業哩程変更」『官報』1925年8月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 元の位置に戻る ↑ 「鉄道免許状下付」『官報』1926年5月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 元の位置に戻る ↑ 「鉄道免許失効」『官報』1926年5月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 元の位置に戻る ↑ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1932年1月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)の備考に「天狗山ハ新鶴来ヲ改称セルモノナリ」とある。また、天狗山 - 鶴来間の開業時には本鶴来駅ではなく鶴来本町駅という駅があった。
- 元の位置に戻る ↑ 7月27日 許可「鉄道譲渡」『官報』1939年7月31日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 元の位置に戻る ↑ 『最新電動客車明細表及型式図集』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)