浅井基文
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浅井 基文(あさい もとふみ、1941年7月3日 - )は、日本の元外交官、政治学者。
経歴
1941年愛知県生まれ。愛知県立西尾高等学校卒業。1963年、東京大学法学部を経て外務省に入省。同期には野村一成ら。
中国語研修(台湾及び米国ハーバード大学)、アジア局中国課、条約局条約課、在オーストラリア大使館、在ソ連大使館、調査部分析課を経て、条約局国際協定課長(1978年 - 1980年)、在中国大使館参事官(1980年 - 1983年)、アジア局中国課長(1983年 - 1985年)、イギリス国際戦略研究所研究員(1986年 - 1987年)などを歴任。
1988年に東京大学教養学部教授に就任。1990年に日本大学法学部教授。1992年に明治学院大学国際学部教授を務める。2005年4月、広島市立大学広島平和研究所所長に就任(2011年3月31日退職)。
人物
外務省に入り中国語研修(チャイナスクール)を選んだ理由について「高校生の頃から、毛沢東、周恩来が率いた中国革命の成功と社会主義・中国の新鮮なイメージがなんとなく私の中に育っていたためもあって、中国問題にかかわりがある仕事をしたいという気持ちがあったという単純な理由からでした。」 [1]と述べている
外務省出身ながら、日米同盟を基本とした日本外交に批判的であり、護憲・平和主義の立場からの論陣を張っている。
著書
単著
- 『日本の外交--反省と転換』(岩波書店[岩波新書]、1989年)
- 『外交官--ネゴシエーターの条件』(講談社[講談社現代新書]、1991年)
- 『新しい世界秩序と国連--日本は何をなすべきか』(岩波書店、1991年)
- 『どこへ行く日本-湾岸戦争の教訓と外交の進路』(かもがわ出版、1991年)
- 『「国際貢献」と日本--私たちに何ができるか』(岩波書店[岩波ジュニア新書]、1992年)
- 『国家と国境--国際化社会における秩序と民族自決問題』(ほるぷ出版、1992年)
- 『私の平和外交論』(新日本出版社、1992年)
- 『新保守主義--小沢新党は日本をどこへ導くのか』(柏書房、1993年)
- 『「国連中心主義」と日本国憲法』(岩波書店[岩波ブックレット]、1993年)
- 『国際的常識と国内的常識--「脱冷戦」後の国際社会と日本の役割』(柏書房、1994年)
- 『非核の日本・無核の世界』(労働旬報社、1996年)
- 『平和大国か軍事大国か』(近代文芸社、1997年)
- 『新ガイドラインQ&A--ここが問題』(青木書店、1997年)
- 『中国をどう見るか--21世紀の日中関係と米中関係を考える』(高文研、2000年)
- 『集団的自衛権と日本国憲法』(集英社[集英社新書]、2002年)
- 『戦争する国しない国--戦後保守政治と平和憲法の危機』(青木書店、2004年)
- 『国際社会のルール(1)平和な世界に生きる』(旬報社、2007年)
- 『13歳からの平和教室』(かもがわ出版、2010年)
- 『日英対照 広島に聞く 広島を聞く』(かもがわ出版、2011年)
- 『ヒロシマと広島』(かもがわ出版、2011年)
- 『すっきり!わかる 集団的自衛権Q&A』(大月書店、2014年)
編著
- 『茶の間で語りあう新ガイドライン』(かもがわ出版、1998年)