マイク・ビビー

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テンプレート:バスケットボール選手 マイク・ビビーMichael (Mike) Bibby, 1978年5月13日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州チェリーヒル出身のバスケットボール選手。ポジションはポイントガード。元NBA選手のヘンリー・ビビーの息子であり、元MLB選手のジム・ビビーとは叔父、甥の関係にある。身長185cm、体重86kg。  

NBAでの経歴

1998年のNBAドラフトで、バンクーバー・グリズリーズから全体の2位指名を受けNBA入り。ルーキー時代は、ロックアウトの影響で短縮された50試合を全てスターターで出場。1試合平均13.2得点、2.7リバウンド、6.5アシストの成績を残し、オールルーキーファーストチームに選出された。

しかし、チームはシーズンを通して低迷。2001年6月27日、ブレント・プライスと共にサクラメント・キングスジェイソン・チャンドラー・ウィリアムスニック・アンダーソンとの交換でトレードされた。移籍後、サクラメント・キングスの主力メンバーとして活躍、2002年にはチームはロサンゼルス・レイカーズとのウェスタン・カンファレンスカンファレンスファイナルに進出、第5戦でビビーは残り8.2秒に逆転シュートを決めてチームは92-91で勝利、NBAファイナルまで後一歩のところまで進んだが[1]、レイカーズに第6戦、第7戦と連敗した。2002年8月、キングスと7年8050万ドルの契約を結んだ[2]

2002-03シーズンには怪我のため55試合の出場に終わったが、平均15.9得点をあげ、チームも59勝23敗でウェスタン第2シードでシーズンを終えた。

2003-04シーズン、平均18.4得点をあげた。プレーオフ1回戦のダラス・マーベリックスとの第5戦では36得点をあげた[3]

2005-06シーズンには、過去最高の1試合平均21.1得点を挙げた。

2008年2月16日にシェルデン・ウィリアムスアンソニー・ジョンソンタイロン・ルーロレンゼン・ライト2008年のドラフト2巡指名権と引き換えにアトランタ・ホークスへトレードされた[4][5]

2011年2月23日、ジョーダン・クロフォードモーリス・エバンス、ドラフト1巡指名権と共にカーク・ハインリックヒルトン・アームストロングとのトレードでワシントン・ウィザーズに移籍した[6]。その後、バイアウトが成立し、3月1日に、マイアミ・ヒートと契約を結んだ[7]。この年キャリア初のNBAファイナルでプレーする機会を得たが、ダラス・マーベリックスに2勝4敗で敗れてチャンピオンリング獲得はならなかった。

2011年12月11日、ニューヨーク・ニックスと1年契約で合意[8]

プレースタイル

ポイントガードとしてはかなりのシュート力を持つ。3Pシュートの成功率はリーグ屈指である。もちろんパスの技術もあり、味方のシュートを演出する。だが、特筆すべき点はその勝負どころでのプレーである。キングスの黄金期であった21世紀初頭、プレーオフの大舞台で活躍したのは大黒柱のクリス・ウェバーや、エースシューターのペジャ・ストヤコヴィッチではなくレギュラーシーズン中、黒子役に徹したビビーであった。その強心臓でチームの危機を何度も救っている。また、多くのNBA関係者は、ビビーはNBAの中でもっとも過小評価されている一人という意見も多い。

受賞歴

  • 1999年 - オールルーキーファーストチーム

その他

脚注

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外部リンク

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