清華亭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年4月25日 (金) 14:23時点におけるDDR (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:建築物

清華亭(せいかてい)は、1880年開拓使が作った建物で、北海道札幌市北区北7条西7丁目にある。明治時代和洋折衷建築で、1881年明治天皇の休憩所にされたが、その後は格別の利用法がなく、住宅などに使われた。現在は札幌市の有形文化財に指定されている。

歴史

清華亭は、札幌最初の都市公園である偕楽園内の一施設として1880年に建てられ、翌年に明治天皇が札幌に来たとき、休憩所として利用された。設計は開拓使工業局による。その後は適当な使い道がなく、1897年に対馬嘉三郎に払い下げられ、会合場所や料亭に使われた。後に横山庄右衛門の所有になり、1912年頃から1929年頃まで、貸家として人を住まわせた。

昭和の初めに明治天皇ゆかりの地を聖蹟(聖跡)として崇拝する運動が現れると、清華亭もそのうちに含められ、住宅利用が批判された。1926年頃に清華亭保存会を結成し、河野常吉を中心として聖蹟の保存を働きかけた。保存会は1929年から清華亭の修理保存をはじめ、1933年8月に札幌市に寄付した。同年11月に、清華亭は「明治天皇札幌御小休所」として国の史蹟に指定された。

天皇崇拝にもとづく史跡指定は1948年に解除された[1]。札幌市は清華亭を一時期職員の住宅にした。1961年に明治時代の和洋折衷様式を示す歴史的建築物として、札幌市が有形文化財に指定した。1977年から1978年に、元の姿に復すための復元・修復工事が行われた。

年表

  • 1880年(明治13年)6月 - 完成。
  • 1881年(明治14年)9月1日 - 明治天皇が清華亭で休息した。
  • 1897年(明治30年)1月 - 対馬嘉三郎が払い下げを受けた。
  • 1929年(昭和4年) - 清華亭保存会が清華亭の管理を始めた。
  • 1933年(昭和8年)8月 - 清華亭保存会が市に清華亭を寄付した。
  • 1933年(昭和8年)11月3日 - 「明治天皇札幌御小休所」として国の史蹟に指定された。
  • 1948年(昭和23年)6月29日 - 上記の史蹟指定が解除された。
  • 1959年(昭和34年) - 清華亭遊園が設けられた。
  • 1961年(昭和36年)6月7日 - 札幌市の有形文化財になった。
  • 1977年(昭和52年) - 清華亭の復元・修復工事がはじまった。
  • 1978年(昭和53年) - 工事が完了した。

建築

木造の小さな建物で、外観は洋風、内部は和洋折衷であった。洋間、和室それぞれ一部屋と、土間のある台所、玄関、納戸、便所が付属した。外観も内部の間取りも不規則である。庭園はアメリカ人ルイス・ベーマーにより、やはり和洋折衷で作られた。洋室のある西側が22.3坪(約73.7m²)、和室がある東側が14.9坪(約49.4m²)。

参考文献・資料

  • 札幌市教育委員会編『豊平館・清華亭』(さっぽろ文庫15)、北海道新聞社、1980年。
  • 札幌市「清華亭」(清華亭で2005年に配っていたパンフレット)。
  • 清華亭の展示資料。

脚注

  1. 戦前には日本各地に合わせて600件余の「明治天皇聖蹟」が国の史跡に指定されていたが、これらは昭和23年(1948年)6月29日付けで一斉に指定を解除された。

関連項目

テンプレート:Sister

外部リンク