丹羽氏定
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丹羽 氏定(にわ うじさだ、元和元年(1615年) - 明暦3年4月16日(1657年5月29日))は、江戸時代前期の大名。美濃国岩村藩2代藩主。氏次系丹羽家3代。
初代藩主丹羽氏信の長男。母は水野勝成の養女(水野忠胤の娘)。正室は高木正成の娘。子に丹羽氏純(長男)、娘(相田某室)、娘(土井利直正室)、娘(加賀爪直清正室)。官位は従五位下、式部少輔。法名は興昌院殿桃雲宗蕚大居士。
正保3年(1646年)、父・氏信が亡くなり、跡を継いだ。承応2年(1653年)、妙法寺を建設する。明暦3年(1657年)4月16日に没する。享年43。跡は長男の氏純が継いだ。墓所は岐阜県恵那市岩村町の乗政寺。