首飾り事件
首飾り事件(くびかざりじけん, テンプレート:Lang-fr-short)は、1785年、革命前夜のフランスで起きた詐欺事件。ヴァロワ家の血を引くと称するジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人が、王室御用達の宝石商ベーマーから160万リーブル(金塊1t程度に相当するが、現代日本円の感覚ではおよそ30億円)[1]の首飾りをロアン枢機卿に買わせ、それを王妃マリー・アントワネットに渡すと偽って騙し取った。典型的なかたり詐欺。
背景
ラ・モット伯爵夫人は、王妃マリー・アントワネットの親しい友人だと吹聴してルイ・ド・ロアン枢機卿に取り入り、王妃の名を騙り金銭を騙し取っていた。
宮廷司祭長の地位にあったロアン枢機卿は、ストラスブールの名家出身の聖職者でありながら、大変な放蕩ぶりでも知られていたためマリー・アントワネットに嫌われていた。だが枢機卿は諦めることなく、いつか王妃に取り入って宰相に出世する事を望んでいた。
宝石商シャルル・ベーマーとそのパートナーであるポール・バッサンジュは、先王ルイ15世の注文を受け、大小540個のダイヤモンドからなる160万リーブルの首飾りを作製していた。これはルイ15世の愛人デュ・バリー夫人のために注文されたものだったが、ルイ15世の急逝により契約が立ち消えになってしまった。高額な商品を抱えて困ったベーマーはこれをマリー・アントワネットに売りつけようとしたが、高額であったことと、敵対していたデュ・バリー夫人のために作られたものであることから購入を躊躇した。そこでベーマーは王妃と親しいと称するラ・モット伯爵夫人に仲介を依頼した。
事件
ラ・モット伯爵夫人はこの首飾りの詐欺を計画した。1785年1月、伯爵夫人はロアン枢機卿にマリー・アントワネットの要望として首飾りの代理購入を持ちかけた。伯爵夫人は、前年の夏、娼婦マリー・ニコル・ルゲイ・デシニー(後に偽名「ニコル・ドリヴァ男爵夫人」を称する)を王妃の替え玉に仕立て、ロアン枢機卿と面会させており、彼は念願の王妃との謁見を叶えてくれた人物として、伯爵夫人を完全に信用していた。ロアン枢機卿は騙されて首飾りを代理購入しラ・モット伯爵夫人に首飾りを渡した。
その後首飾りはバラバラにされてジャンヌの夫であるラ・モット伯爵(及び計画の加担者達)によりロンドンで売られた。しばらくして首飾りの代金が支払われないことに業を煮やしたベーマーが、王妃の側近に面会して問い質した事により事件が発覚した。同年8月、ロアン枢機卿とラ・モット伯爵夫人、ニコル・ドリヴァは逮捕された。ラ・モット伯爵夫人はこの時、ロアン枢機卿と懇意であったが事件とは無関係とされる医師(詐欺師)カリオストロ伯爵を事件の首謀者として告発し、カリオストロ伯爵夫妻も逮捕された。なおラ・モット伯爵はロンドンに逃亡して逮捕されなかった。
事件に激昂したマリー・アントワネットは、パリ高等法院(最高司法機関)に裁判を持ちこんだ。1786年5月に判決が下され、ロアン枢機卿はカリオストロ伯爵夫妻、ニコル・ドリヴァとともに無罪となり、王妃と愛人(レズビアン)関係にあると噂されたラ・モット伯爵夫人だけが有罪となった[2]。彼女は「V」[3]の文字を額に焼き印されて投獄された。
この裁判によりマリー・アントワネットはラ・モット伯爵夫人と愛人関係にあるという事実無根の噂が広まった。伯爵夫人はこの虚偽の醜聞をもとに後に本を出版し金銭を得ている。
社会的影響
フランスでは、この事件は事実に反して王妃の陰謀によるものとして噂になり、マリー・アントワネットを嫌う世論が強まった。また国王ルイ16世は判決直後、無罪となったロアン枢機卿を宮廷司祭長から罷免、オーヴェルニュのシェーズ・ディユ大修道院に左遷し国民の反感を買った。但し、ロアン枢機卿はもともと評判の悪い堕落した聖職者だったが、彼の左遷を批判した多くの人々はそれを知らなかった。こういった経緯から、首飾り事件をフランス革命の契機の1つとする後述のような作家もいるが、フランス革命は、王妃マリー・アントワネットの不人気とは全く関係ないところで勃発しており、拡大解釈でフィクションといってよい。
史実において事件は、ほとんど世間に出ていなかったマリー・アントワネットの評判を決定的に貶めただけで、彼女の非業の死と関係するのみであった。
フィクションへの影響
文芸作品
- この事件を題材にした作品「王妃の首飾り」をアレクサンドル・デュマが書いているが、王妃の陰謀説が取られている。
- ゲーテもこの事件を題材に喜劇戯曲「大コフタ」を書いた。ここではカリオストロをモデルとする「ロストロ伯爵」を事件の黒幕として描いている。この作品は初演時には、ゲーテの著作としては低い評価しか得られなかったが、「コフタの歌」はこの戯曲の一部にヴォルフが曲をつけたものである。
- モーリス・ルブランの「アルセーヌ・ルパン」シリーズ第1作「怪盗紳士ルパン」の中の1編「女王の首飾り」でもこの首飾り事件が扱われている。幼き日のアルセーヌ・ルパン最初の犯行対象がこの首飾りである。
- 日本では、遠藤周作が『王妃マリー・アントワネット』の中のエピソードとして、この事件について書いている。
映画
- この事件を題材にした映画に『マリー・アントワネットの首飾り』がある(監督:チャールズ・シャイア、出演:ヒラリー・スワンク、エイドリアン・ブロディ、サイモン・ベイカー、ジョエリー・リチャードソン、クリストファー・ウォーケンなど)。
- アルセーヌ・ルパン生誕100周年を記念した映画『ルパン』でも、この首飾りが重要なアイテムとして登場する。カルティエが全面協力した逸品である。
漫画
池田理代子の『ベルサイユのばら』の中で主要エピソードの1つとして用いられている。また、ラ・モット伯爵夫人(ジャンヌ・バロア)の異母妹ロザリー(架空の人物)は、作中を通じて登場する主要人物として設定されており、『栄光のナポレオン-エロイカ』にも登場する。
ミュージカル
東宝が2006年に、遠藤周作の『王妃マリー・アントワネット』を原作として、ミヒャエル・クンツェ脚本・歌詞、シルヴェスター・リーヴァイ作曲のミュージカル「マリー・アントワネット」を制作、帝国劇場で初演した。その中でもこの事件は重要なエピソードとなっている。ここではカリオストロは錬金術師として描かれているものの、狂言回しという立場でもあり、明確に実際の登場人物としては描かれていない。また王妃の替え玉となったニコル・ド・オリヴァは、革命のために立ち上がった「マルグリット・アルノー」としており、「マリー・アントワネット」と同じ「M.A.」というイニシャルでありながら正反対の立場である女性として主役級の役として描かれている。作品中でこの事件は、宝石商シャルル・ベーマー、ロアン大司教、ラ・モット伯爵夫人、そしてニコル・ド・オリヴァ男爵夫人(劇中でのマルグリット・アルノー)の持つ七つの悪徳と、さらにマリー・アントワネット、オルレアン公、ボーマルシェを含めた七人という要素を、カリオストロが調合してこの事件に仕立てたという演出となっている。
また、2007年には、「A/L」という題で宝塚歌劇団の宙(そら)組の大和悠河がラブコメディーミュージカルで、上演している。