松平輝和

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テンプレート:基礎情報 武士 松平 輝和(まつだいら てるやす)は、江戸時代中期から後期の上野高崎藩主、寺社奉行大坂城代。高崎藩大河内松平家5代。

生涯

高崎藩第3代藩主・松平輝高の次男。兄・輝行の死去により、安永4年(1775年)7月5日、嫡子となる。

天明元年(1781年)11月11日、家督を継ぐ。天明3年(1783年)9月1日、奏者番となり、翌天明4年(1784年)4月26日、寺社奉行を兼任する。寛政10年(1798年)12月8日、大坂城代となる。寛政12年(1800年)、任地の大坂で病没した。

死去に際し実子・輝健がいたが、輝健の誕生以前に弟の輝延を嗣子に定めていたため、家督は輝延が継いだ。


テンプレート:大河内(大河内松平)氏歴代当主 テンプレート:高崎藩主 テンプレート:大坂城代