松浦誠信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松浦 誠信(まつら さねのぶ、正徳2年3月11日(1712年4月16日) - 安永8年4月29日(1779年6月13日))は、江戸時代中期の大名。肥前国平戸藩の第8代藩主。
第6代藩主・松浦篤信の次男。第7代藩主・松浦有信の弟。母は池内氏。正室は宮川氏。子に松浦邦(長男)、松浦政信(三男)、松浦保(五男)、娘(稲垣昭央正室)、娘(永井尚俶正室)、娘(木下利忠正室)、娘(本多忠籌正室)、娘(相良頼峯婚約のち市橋長璉正室)、娘(松浦信安室)。官位は従五位下、肥前守。
兄・有信の跡を受けて藩主となった。長男・邦の死後、後継者は三男・政信と定めていたが、その政信は明和8年(1771年)に自身に先立って死去する。このため、政信の子・清を後継者として定めた。
安永4年(1775年)に隠居し、跡を清が継いだ。その後、安永8年(1779年)に68歳で病死した。