アラド (航空機メーカー)

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アラド・フルークツォイクヴェルケArado Flugzeugwerke )は第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて活動したドイツの航空機メーカー。フルークツォイクヴェルケとは、航空機製造工場を意味する。

歴史

はじめ、フリードリヒスハーフェンにフルークツォイクバウ・フリードリスハーフェンFlugzeugbau Friedrichshafen GmbH )として創立され、1925年になってからアラドという社名に改められた。航空機メーカーとしての業績は1924年に主任設計者として迎えられたヴァルター・レーテル博士[1]に負うところが大きい。1933年になると再軍備宣言に向けて空軍の再建を図る政権与党 ナチ党によってアラド・フルークツォイクヴェルケに改称された。

1945年のドイツ降伏にともなって倒産し、解体された。

航空機

軍用機として有名なものとしては、ビュッカーのBu 181とともにドイツ空軍での飛行訓練に多用された傑作練習機 Ar 66(1938年初飛行)や、ドイツ製水上機として最多の593機が生産されたAr 196(1938年初飛行)が挙げられる。

大戦末期の1943年には世界初のジェット推進爆撃機Ar 234を世に送り出している。

ほかに、Bf 109Fw 190といった戦闘機ライセンス生産も行った。

航空機の一覧

脚注

  1. それより以前はコンドル社フォッカー社で活躍していた。

関連項目