アブル=アターヒーヤ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アブル=アターヒーヤ(テンプレート:Lang-ar;Abū l-ˤAtāhiyya、748年 - 828年)は、アッバース朝期に活躍した詩人。
人物
シリア砂漠の中のオアシスの町の一つで生まれた。父親は吸角法で、息子のアブル=アターヒーヤは壷を売って生計を立てており、大変に生活は貧しかった。しかし、徐々に天才詩人としての名声が知れ渡り、ついにはアッバース朝第3代カリフ、マフディーの目に止まり、それからまたたくまに出世していった。アブー・ヌワースと共に並び称される詩人となった。その作風は、平易な中に人生の様々な機微を詠み、清貧を称賛する作風である。
逸話
彼に関して、逸話が残っている。その逸話を後述する。アブル=アターヒーヤは、ある時、第5代カリフ、ハールーン・アッ=ラシードの元に招かれ、次のような詩を詠んだ。
- 「思いのままに、すこやかに、高き宮居の影に君、その日その日を生きたまえ。夕べに朝に、君欲しと、おぼしたまわむ者みなは、時を移さずととのわめ。たちまちに、胸の動きもとだえがち、息も微かにあえぐ時、初めて君は覚るらん、この世の快楽みな夢と…」
この詩を聞いたハールーンは、涙を流して感動したという。ハールーンの死後も、彼の正妃のズバイダから、毎年金貨100ディナールと、銀貨100ディルハムの大金を贈られ、手厚く保護された。