直轄市 (中華民国)
中華民国における直轄市(ちょっかつし)は、中央政府である行政院が直轄する都市である。正式名称を行政院直轄市といい、その略称で院轄市とも呼ばれる。地方制度法第4条により、人口125万人以上で、政治や経済・文化・都市圏の発展の上で特別な必要のある地区に設置できると規定されている。省と同格の行政区分とされ、市長は閣議にあたる行政院会議に出席する資格を持つ。このため直轄市の市長は強い政治的な影響力を持つ。
南京国民政府時代
テンプレート:Main 1927年に発足した国民政府は北京政府の行政区分を改め、中央政府による直轄市の設置など地方行政区分の改革を行った。その中で、人口100万人を基準として直轄市を指定し、1948年までに直轄市の数は12となった。
- 南京市(1927年指定)
- 上海市(1927年指定)
- 漢口市(1927年指定)
- 北平市(1928年指定)
- 天津市(1928年指定)
- 青島市(1929年指定)
- 広州市(1930年指定、同年省轄市、1947年再指定)
- 重慶市(1939年指定)
- 大連市(1945年指定)
- ハルビン市(1946年指定)
- 瀋陽市(1947年指定)
- 西安市(1948年指定)
このうち、広州市は広東省の、西安市は陝西省の、瀋陽市は遼寧省のそれぞれ省都を兼ねていた。
中華民国政府の台湾移転以後
テンプレート:Main 直轄市は台北市(1967年から)と高雄市(1979年から)のほか、2010年12月25日から新北市、台中市、台南市の3市が加わり5市になった。
台湾省の凍結(精省)に伴い県や省轄市との差異が分かりにくくなっているが、首長や議会の選挙日や財政面において県市と直轄市は法制上異なるものとして扱われている。特に財政面における直轄市の優遇は著しく、地方交付税に当たる統籌分配稅款の43%が直轄市の取り分とされている。一方、22県市は全体で39%の取り分しかない[1](残りは、6%が特別交付税に当てられ、12%が郷鎮市への交付金となる)。こうした格差の是正を目的として、人口の多い台北県や台中市、桃園県をはじめ、多くの県市が直轄市への昇格を求めた。当然、当時の2直轄市は自らの取り分が減るため、県市の直轄市昇格には反対を表明した。しかし、2007年5月、立法院において地方制度法の第4条と第7条が改正され、人口200万人の県市には直轄市昇格の前でも、直轄市に関する第34条、第35条が適用され、事実上の「準直轄市」となる道が開かれた。
さらに、2009年になると、台北県を新北市として直轄市に昇格させるほか、台中市と台中県が合併して誕生する新たな台中市、および台南市と台南県が合併して誕生する新たな台南市を昇格させ、高雄市と高雄県を合併して新たな高雄市にすることが行政院で決定された。また、桃園県は2010年6月に人口が200万人を突破したことから、2011年1月1日から事実上の準直轄市となる。
直轄市に改められたあとの台北市長に初めて直接選挙で選ばれた陳水扁は、市長時代の手腕を評価され、後に中華民国総統に就任した。元総統である李登輝も直轄市昇格後に官選だった台北市長の職を経験している。1998年に陳水扁を破り2006年まで台北市長であった馬英九は、2005年から2007年まで中国国民党の主席を務めたほか、2008年に総統に当選・就任した。元高雄市長の謝長廷も、1996年総統選挙において副総統候補、2008年総統選挙に総統候補として出馬した経験があり、民主進歩党主席(2000年~2002年)や行政院長(2005年2月~2006年1月)を歴任している。