東北学院中学校・高等学校
東北学院中学・高等学校(とうほくがくいんちゅうがく・こうとうがっこう)は、宮城県仙台市宮城野区にある私立の中学校・高等学校(男子校)であり、詰襟の学ランが制服である。略称は学院(がくいん)。
キリスト教(プロテスタント、福音主義:日本基督教団)系の学校である。学校法人東北学院によって設置されており、東北学院大学の系列校である。また、宮城学院(宮城学院女子大学など)は、創設者が同じであり、姉妹校である。
2005年4月に、老朽化が進んだ一番町校舎から宮城野区小鶴の新校舎に移転し、現在に至る。 また東北に在る高校の中で唯一、イギリスの学校イートン・カレッジとの交流を持っているものの、実際には旧校舎時代の末期一度数名の生徒が一週間ほど訪れただけで、その後特に交流は行われていない。
概要
ミッションスクールとしてキリスト教による全人教育を行っている。学校の標語は、第2代院長D.B.シュネーダーが聖書より引用し、制定した「LIFE LIGHT LOVE」(3L精神)。また「世の光、地の塩」として社会に貢献する人であれとの人格教育を行っている。
高等学校は中学校内部進学者と高校受験による新規入学者の比率が半々である。東京都の国立・私立中高一貫校のように、6年で学ぶ内容を5年で終わらせ残り1年を受験勉強や進路選択の考慮などにあてるといった教育カリキュラムの中高一貫校ではなく、むしろ中学、高校の教育は一般の公立中学・高校と同じように独立に近い。そのため、高校からの入学者を自校の6年一貫の教育内容に追いつかせたり、合わせたりするための特別な教育カリキュラムは必要なく、そのようなカリキュラムは存在しない。本校の中高一貫の実体は教育内容の6年一貫ではなく、内部進学者は高校への入学試験がなくエスカレーター式進学ができるため、中学・高校を同じ学校で学ぶことができるといった程度である。
1993年度まで高校1年生のクラスは中学からの内部進学者、高校からの入学者を混合したクラスであったが、1994年度以降高1のクラスは中学からの内部進学者と高校からの入学者を分けてクラス編成にするようになった。しかし、これは高校からの入学者を中学内部進学者に追いつかせたり、6年一貫のカリキュラムに合わせるための区別ではない。上述のように、教育カリキュラムの実体は6年一貫ではなく、中学、高校で独立しているため、高1段階での中学内部進学者と高校からの入学者のクラス編成の区別は別目的であり、教育内容が中学内部進学者クラスと高校からの入学者のクラスで異なるわけではない。
高1では自然学級であるが、高校2年生で文Ⅰコース(私立大学文系、主に東北学院大学文系への推薦進学クラス。いわゆるエスカレータ進学を目指すコース)、文Ⅱコース(国立・私立大文系への受験を目指すクラス)、理コース(国立・私立大学理系への受験を目指すクラス)にそれぞれの進学目標や成績によってクラスが分けられる。高校3年生では文系クラスは変わらないが、理コースが理Ⅰ(私立大理系、主に東北学院大学工学部への推薦進学クラス。エスカレーター進学クラス)、理Ⅱ(国立・私立大学理系への受験を目指すクラス)に分かれる。高2以降の推薦クラス(エスカレーター進学クラス)と受験クラスでは当然、教育内容が異なる。高2以降は中学内部進学者・高校からの入学者で混合クラスとなり、両者の違いで区別されたクラス編成とはならない。
かつての校舎は仙台市中心部の一番町に位置し、仙台駅より徒歩15分と交通至便であったが、都市計画により用地を市道へ供出したため、敷地面積は狭かった。そこで、2005年4月に宮城野区小鶴にキャンパスを移転した。なお、跡地はのちに仙台トラストシティとして再開発された。
現在の校舎は東京ドーム約2個分の敷地面積に、冷暖房完備の校舎・礼拝堂、屋内練習場付きの野球場、人工芝のサッカー場、テニスコートなどがある。一方で交通に関しては仙台駅から仙石線で約10分の小鶴新田駅からさらに徒歩10分ほどの距離となった。
中学校の志願者減少に対処し定員を確保するため、2015年度から入試科目を現在の4教科(国語・算数・社会・理科)から2教科(国語・算数)に減らすことになっている。(2013年6月27日 教員会議決定)
海外研修(アメリカ・オレゴン州方面)は今年で30回になるが、当初は50名の定員に60名を超える希望者があり、選抜テストを行なって参加者を決めていたが、ここ10年以上は参加者が激減し、在校中に複数回参加できるよう規定を改めても毎年12~15名の参加者にとどまっている。
特待生制度、準特待生制度があり、通年の定期試験の成績で平均点が90点以上の者は特待生とされ学費が全額免除される。さらに、平均点85点以上の者も準特待生とされ図書券が進呈される。また、卒業生の総代(首席卒業者)は進学クラスの最優秀生徒が選ばれる慣行となっている。
進学実績
文一、理一コースのものは系列の東北学院大学への進学が主となるが、成績優秀者は首都圏の私大などへの指定校推薦での入学も可能である。文二、理二コースの進学実績は国公立大に関しては80人程度、旧帝大である東北大には平均11人程度進学する。[1][2]。しかし、旧帝大レベルへの進学者はほんの一握りであり、本校の卒業生のうち8割以上の者は下位・中堅大学へ進学する[1][2][3]。 1990年代中頃には東北大学に現役・浪人合わせて40名代の合格者を輩出したこともあったが、2013年3月の東北大学合格者は9名(うち現役は1名)にまで減少している。 また、受験指導としての主力として放課後又は朝に受験科目の演習を行う講習が設置されている。
部活動
部活動は所属自由である。文化部と運動部があり、各1つずつ兼部することが可能である。
- 文化部
- 生物部
- 囲碁・将棋部
- 写真部
- 吹奏楽部
- 音楽部
- ギター部
- 美術部
- 歴史部
- 放送部
- 化学部
- 英語部
- ディベート部
- アニメ研究部
- 物理部
- 鉄道研究会
- 運動部
- 軟式野球部
- 硬式野球部
- 応援団
- 硬式テニス部
- 軟式テニス部
- サッカー部
- ラグビー部
- バレーボール部
- スキー部
- レスリング部
- バスケットボール部
- 陸上部
- 水泳部
- バドミントン部
- 空手部
- 卓球部
- 山岳部
- 剣道部
- 弓道部
- 柔道部
- 体操部
- 青年会
- キリスト教青年会
沿革
- 1886年 - 押川方義・W.E.ホーイにより、宮城県仙台区に「仙台神学校」が開設される。
- 1887年 - 第2代院長のD・B・シュネーダーが着任し、校風の基礎を造る(院長就任は1901年)。
- 1891年 - 仙台神学校を東北学院に改称、普通科を設置(翌年開院式を挙行。初代院長に押川方義が就任)。
- 1896年 - この時期、島崎藤村が教師として在任。
- 1905年 - 東二番丁通沿いに校舎を建設。
- 1915年 - 普通科を中学部と改称。
- 1919年 - 仙台大火により校舎焼失。
- 1936年 - D.B.シュネーダー、創立50周年記念礼拝にて「我は福音を恥とせず」説教を行い、退任。
- 1943年 - 中学部を中学校と改称。
- 1945年 - 空襲により、校舎消失。
- 1947年 - 新制中学校を設置。
- 1948年 - 新制高等学校の設置。
- 1959年 - 高等学校榴ヶ岡校舎の設置。
- 1972年 - 榴ヶ岡校舎が東北学院榴ヶ岡高等学校として独立。
- 1983年 - 高等学校第二部を廃止。
- 2005年 - 宮城野区小鶴へ移転。
交通アクセス
主な卒業生
- 星宮望(東北大学工学部卒、東北学院長・東北学院大学長、元東北大学副総長、元東北大学工学部教授)
- 菅野武(医師・米国タイム誌2011年度「世界で最も影響力のある100人」)
- 菅井英斗(オペラ歌手,本名 菅井秀憲)
- 加藤望(元プロサッカー選手・柏レイソル→湘南ベルマーレ・元サッカー日本代表)
- 土橋正樹(元プロサッカー選手・浦和レッドダイヤモンズ・元サッカー日本代表)
- 千葉直樹(元プロサッカー選手・ベガルタ仙台)
- シュミット・ダニエル(プロサッカー選手・川崎フロンターレ)
- 加藤真(プロバスケットボール選手・bjリーグ・秋田ノーザンハピネッツ所属):2001年卒業
- 佐々木瑛(バスケットボール選手)
- 藤公之介(作詞家)
- 加藤宏介(陸上選手)
- 中野正志(政治家)
- 堀啓(K-1選手)
- 熊谷和徳(タップダンサー)
- Dj KENTARO(ターンテーブリスト):アジア人初のDMC DJ Competition チャンピオン
- 宮城けんじ(漫才師・Wけんじ)
- 御童カズヒコ(漫画家)
- 朝間義隆(脚本家、映画監督)
- 尾形亀之助(詩人)
- 萱場資郎(KYB創業者)
- 大竹康市(建築家)
- 鍋島紀雄(日本画家)
- 及川史弘(リレハンメル五輪フィギュアスケート男子シングル日本代表)