ボリス・グルイズロフ
テンプレート:政治家 テンプレート:Sister ボリス・ヴャチェスラヴォヴィチ・グルィズロフ(またはグリズロフ、テンプレート:Lang-ru、ラテン文字表記の例:Boris Vyacheslavovich Gryzlov、1950年12月15日 - )は、ロシアの政治家。プーチン政権で内務大臣、ロシア連邦議会下院国家会議前議長、与党「統一ロシア」の前党首。ミハイル・カシヤノフ内閣で内相を務めた。
経歴
1950年12月15日、ウラジオストクに生まれる。4歳の時にレニングラードに移る。レニングラード物理数学学校を経て、1973年にレニングラード電気技術大学を卒業する。大学時代は、コムソモール(共産主義青年同盟)の活動に積極的であった。
大学を卒業後、科学生産合同「コミンテルン」に勤務。次いで、1977年からレニングラード生産合同「エレクトロンプリボル」に移る。この頃、ロシア連邦保安庁(FSB)長官となるニコライ・パトルシェフと共に、レニングラードの「最も有用な人物」と呼ばれた。ソ連崩壊後も活発に活動し、1997年からバルト技術大学で教鞭を執る。1999年には国際事業協力基金「地域の発展」の会長となった。
グルィズロフの政界入りは1999年12月のロシア下院選挙である。この選挙に新たに結成された「統一」から比例代表で立候補し、当選する。2000年1月、院内会派「統一」の代表に選出される。同年3月、ロシア連邦内務大臣に任命される。同年12月に「統一」が「祖国・全ロシア」と合併し、与党「統一ロシア」が誕生すると、同党の最高会議議員に選出され、内相を辞任する。2002年には統一ロシアの最高会議ビューロー(執行部)議長(党首)に選出された。2003年12月の下院選挙で統一ロシアは比例区で120議席、小選挙区で126議席を獲得して圧勝し、グルィズロフも再選される。選挙後、召集された下院で議長に選出された。2004年11月27日、第5回統一ロシア党大会で党首である党最高会議ビューロー議長に再選された。その後、統一ロシアは2007年12月の下院選挙で議席数をさらに伸ばし、全議席の6割超を獲得した。2008年5月7日にウラジーミル・プーチン前大統領(首相)が党首に就任したのに伴い、党首を退任する。 2011年12月14日、下院議長を辞任した[1]。これは12月4日の下院選挙で与党統一ロシアが大きく議席を減らしたことを受けての引責辞任とも報道された[2]。
脚注
外部リンク
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