曹殷

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曹 殷(そう いん、231年 - 232年)は、中国三国時代皇族諡号哀王。三代目皇帝の明帝・曹叡皇子。生母は不詳。兄に清河王・曹冏(生年不明)と繁陽王・曹穆(生年不明)らがいる。

曹冏は黄初七年(226年)に清河王に立てられたが、年内に死去し、次の曹穆は太和二年(228年)に繁陽王に立てられたが、翌年、死去していた。

そのために、父・曹叡は大赦を行なってまで、末子の曹殷の誕生を祝い、安平王に封じた。しかし、太和六年夏五月(232年新暦6月末〜7月初頃)に死去した。父・曹叡によって諡号を追贈され、「哀王」と諡された。