短資会社

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短資業者(たんしぎょうしゃ)とは、金融機関相互間で資金の運用や決済を行う市場(銀行間取引市場)において、主として1年未満の短期的な資金の貸借またはその媒介を業として行う者のことをいう。短資会社(たんしがいしゃ)とも。

概説

コール市場などの短期金融市場は、金融商品取引所のような組織的な市場があるわけではないので、金融機関同士で条件が合致すれば取引は成立するが、短資業者を経由した方が取引が成立しやすい上に、取引金利も透明性が高いとされている。

法的には、「主としてコール資金の貸付け又はその貸借の媒介を業として行う者で金融庁長官の指定するもの」として、貸金業の規制等に関する法律の適用を除外されているが、その代わりに、1983年改正前の出資法(出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律)の部分的な適用を受けることとなっており、監督当局への届出が必要となる。

日本における短資業者の数は、1990年代には7社あったが、現在は、上田八木短資セントラル短資東京短資の3社である。

歴史

戦前ビルブローカーと呼ばれていたが、敵性語とみなされた為に短資業といいかえが行われた[1]。当時のビルブローカーは、今日の短資会社や証券会社の元となっている[2]。昭和3年までは銀行の付帯業務として認められており、ビルブローカー銀行という業態があったが、昭和金融恐慌を受けた銀行法(昭和二年法律第二十一号)で五年の猶予の後兼営を禁止された[3]

ビルブローカーとは手形仲買人を意味し、ロンドン金融市場のそれを範にとり、1902年に藤本ビルブローカーが設立された。本来、手形を取り引きする業態であったが、日本では信用のある手形が十分に流通しなかったため、コール資金の流通が主な業務になった。[4]

  1. 図解入門ビジネス 最新短期金融市場の基本がよーくわかる本 177ページ ISBN 978-4798034164
  2. 大阪毎日新聞 1942.5.8(昭和17)『短資業にも統制組合』
  3. 大阪朝日新聞 1929.5.9(昭和4) 『ビル・ブローカーを銀行業務より独立 金融市場の発達の為に特別の法規設定の方針』
  4. 東京朝日新聞 1925.9.17-1925.9.18(大正14) ビル・ブローカー (上・下) 経営百態

関連項目

  • 外為ブローカー - 元々ビルブローカーの業務の一部で現在子会社として運営している事が多い。

外部リンク

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