北海道炭礦汽船

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テンプレート:Infobox 北海道炭礦汽船株式会社(ほっかいどうたんこうきせん、英文社名:Hokkaido Colliery & Steamship Co., LTD.)は、石炭の輸入販売やガラス製品の加工販売を行う日本の株式会社である。通称は北炭(ほくたん)。「礦」の字が「砿」「鉱」「鑛」などと記された資料もある。

かつては北海道で多くの炭鉱を経営していた。財閥解体までは三井財閥に属し、その後も三井グループの一員であった。

政商とよばれた萩原吉太郎会長[1]も一時代を築いた三井の大立者として知られる。

また、慶應義塾大学理工学部へ土地を寄附した。

現在はロシアからの石炭輸入を中心とする専門商社となっており、北海道などにはグループ会社がある。

会社は1889年明治22年)に設立された。

本店は東京都中央区日本橋小舟町にあるが、1989年平成元年)まで本店は中央区日本橋室町にあった。 かつては室蘭市に本店を置いていた北海道有数の大企業であり、上場企業でもあった(株式銘柄コードは1505)。

沿革

かつて運営していた炭鉱

  • 夕張市
    • 夕張炭鉱
    • 夕張新炭鉱 (1978年(昭和53年)10月2日[11]以降は北炭夕張炭鉱㈱が運営)
    • 平和炭鉱
    • 清水沢炭鉱
    • 真谷地炭鉱(1978年(昭和53年)10月2日[11]以降は北炭真谷地炭鉱㈱が運営)明治38年頭山満、金子元三郎より鉱区を買収
    • 楓炭鉱
  • 三笠市
    • 幌内炭鉱 (1978年(昭和53年)10月2日[11]以降は北炭幌内炭鉱㈱が運営)
  • 赤平市
    • 赤間炭鉱
  • 空知郡栗沢町(現岩見沢市)内

関連項目

脚注

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外部リンク

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  1. “政商ついに終えん”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1983年8月19日)
  2. “北炭夕張鉱 ガス爆発”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1965年2月23日)
  3. “北炭平和砿(夕張)坑内火災”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1968年8月2日)
  4. “北炭夕張 崩落”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1968年9月4日)
  5. “始まった露天掘り現場 北炭夕張鉱 ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1968年12月26日)
  6. “北炭夕張2砿崩落”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1969年5月28日)
  7. “北炭平和鉱消える 残務要員の異動も発令”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1975年8月3日)
  8. “万字閉山”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1981年11月12日)
  9. “北炭幌内鉱 ガス爆発で24人死亡”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1975年11月27日)
  10. “北炭夕張新2鉱 膜閉じる”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1977年11月11日)
  11. 11.0 11.1 11.2 11.3 “新生北炭 厳しい試練、3山分離 労使代表、再出発で決意”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1978年10月3日)
  12. “北炭夕張新鉱事故 重苦しい待機”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1981年10月17日)
  13. “北炭夕張倒産”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1981年12月15日)
  14. “北炭夕張 閉山 そして泣いた”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1982年10月9日)
  15. “北炭真谷地鉱閉山から丸1年”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1988年10月8日)
  16. “ヤマの歴史に幕、揺れる地元”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年9月30日)
  17. “北炭が会社更生法申請 空知砿など8社も「倒産」 負債1420億円 戦後21番目の「大型」”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1995年2月6日)
  18. “歌志内の空知炭砿 閉山からきょうで満3年 失業なお190人 振興策は着実に 離職者手帳も期限切れ 福祉施設など続々完成”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1998年3月18日)
  19. “北炭の更生開始決定 札幌地裁 年内にも計画提出 空知砿も破産回避か”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1995年6月23日)