チャールズ・カーティス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年2月15日 (土) 20:20時点における2407:c800:34f0:a::1:f62c (トーク)による版 (外部リンク)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索
チャールズ・カーティス
Charles Curtis
ファイル:Charles Curtis.jpg
<small/></center>

テンプレート:!-


アメリカ合衆国
31代副大統領

テンプレート:!-

任期 1929年3月4日1933年3月4日

出生 1860年1月25日
カンザス州トピカ
死去 1936年2月8日
ワシントンD.C.

テンプレート:!-

政党 共和党

テンプレート:!-


チャールズ・カーティステンプレート:Lang-en-short1860年1月25日 - 1936年2月8日)は、アメリカ合衆国の政治家。カンザス州選出の下院・上院議員で、第31代アメリカ合衆国副大統領になった。カーティスの祖先はアメリカインディアンで、母親はカンサ族であった。彼はカンサ族居留地で幼年期を過ごし、アメリカ合衆国で二番目に高い地位に就いたヨーロッパ人の祖先を持たない最初の人物である。

カンザス州トピカで生まれ、1881年には法曹界入りしトピーカで弁護士業を始めた。彼は1885年から1889年まで同州ショーニー郡の検察官を務めた。彼は共和党から第53議会に選出され、その後6期(1893年3月4日 - 1907年1月28日)を務めた後上院議員に転身した。彼は内務省の消費委員会議長であった。第60議会に再選されたが、1907年1月23日にジョーゼフ・R・バートン上院議員の辞職によって生じた補欠選挙で当選し、1907年3月3日までの任期を務めた後に再選され、1907年1月29日から1913年3月3日まで上院議員職を務めた。彼は1912年の選挙では落選した。カーティスは第62議会中、アメリカ上院の臨時議長であった。

彼はアメリカ原住民搾取問題調査委員会、沿岸警備委員会および共和党全国委員会委員長であった。1915年3月4日に上院議員に再び当選した後、彼は1920年と1926年に再選され、1915年3月4日から副大統領就任のため辞職する1929年3月3日まで上院議員職を務めた。彼は1915年から1924年まで共和党院内幹事および1925年から1929年まで院内総務であった。さらに彼は上院仮議長を1924年から1929年まで務めた。

彼は1928年の大統領選挙ハーバート・フーヴァーの副大統領候補となり、1929年3月4日に副大統領に就任し1933年3月3日まで貢献した。1932年の大統領選挙でも副大統領候補であったが落選した。

カーティスはその後ワシントンD.C.で弁護士業を再開し同地で1936年に死去した。彼はカンザス州トピーカのトピーカ墓地に埋葬された。

1898年に制定されたカーティス法は、アメリカインディアンに対する連邦政府の支配力を拡張した。1902年の議決はカンサ族を法的な実体として解散させ、同族の160エーカー(0.6 km²)の土地が連邦政府に移管、約1,625エーカー(6.6 km²)の土地がカーティスおよび彼の子孫のものとなり、没収した土地はオクラホマ市建設用地となった。現在は、カンサ族は法的な実体を取り返し、オクラホマに保留地を持っている。

外部リンク

先代:
ヘンリー・カボット・ロッジ(非公式)
上院多数党院内総務
1925年 - 1929年
次代:
ジェイムズ・E・ワトソン
先代:
チャールズ・G・ドーズ
アメリカ合衆国副大統領
1929年 - 1933年
次代:
ジョン・N・ガーナー

テンプレート:アメリカ合衆国副大統領