ムーンライダーズ
テンプレート:Infobox Musician ムーンライダーズ(Moonriders)は、1975年に結成した日本のロックバンド。2011年に無期限活動休止。
目次
略歴
結成
はちみつぱい(1971年結成、1974年解散)を母体として1975年に結成。同時代にもうひとつのムーンライダーズ(1972年結成、1974年解散)が存在(メンバーは鈴木順、鈴木博文、松本隆、矢野誠、山本浩美)していたが、鈴木博文が在籍していた事を除けば、完全に別物である。彼らは便宜上、後にオリジナル・ムーンライダーズと呼ばれることになった。
「ムーンライダーズ」とは、稲垣足穂の小説「一千一秒物語」の一節から鈴木慶一が命名したもので、オリジナル・ムーンライダーズの解散後にメンバーの鈴木博文、松本隆に名前の再利用の承諾を得て、その名前を使うことになった。デビューアルバムが「鈴木慶一とムーンライダース」だったため、徳間に移籍するまでの数年間の間は雑誌やテレビ・ラジオ等では「ムーンライダース」とされることが多かった。現在は英語での表記も初期の「MOON RIDERS」から「MOONRIDERS」になっている。
彼らははちみつぱいで為せなかった「音楽で食べていく」事を優先させるため、まず、アグネス・チャンのバックバンドを行うことによりバンドの経済的基盤を確立させた。1975年2月1日青森県五所川原市にて初めてアグネス・チャンのステージに立った。その後、香港ツアーにも同行するなどしてバックバンド活動は1976年2月まで続き[1]、1975年7月25日の演奏の模様はアグネス・チャンのライブアルバム『ファミリー・コンサート』に収録されている。収録されていないが、各ステージでは「酔いどれダンス・ミュージック」も演奏していた。人気歌手のバッキング活動は、その後もキャンディーズなどへと続いたが、かしぶち哲郎は、途中、活動から離脱し細野晴臣のトロピカル・ダンディーズに参加するなどした。
1976年1月25日、「鈴木慶一とムーンライダース」として『火の玉ボーイ』でアルバムデビュー。当初、鈴木慶一のソロ・アルバムとして制作が進められていたが、手違いに近い形でバンド名がクレジットされることになった。再発の際に鈴木慶一の単独名義になった時期もあったが、現在リリースされている物は「鈴木慶一とムーンライダーズ」名義になっている。
クラウン時代
1977年2月25日にようやく「ムーンライダーズ」としてアルバム『ムーンライダーズ』(クラウンレコード)を発表。サウンドがアメリカ的なものから欧州的になるにつれ、バンド内で抗争が起き、1977年3月24日のライブを最後に、音楽性の相違で椎名和夫が脱退。その後、『火の玉ボーイ』にも参加していたギタリスト白井良明が加入し、現行のメンバーが揃う事になった。
『イスタンブール・マンボ』(1977年)『ヌーベル・バーグ』(1978年)ではさらにその路線を押し進め、サウンドは欧州的から無国籍的な物へと変化していった。『ヌーベル・バーグ』の収録曲「いとこ同士」でシンセサイザーを積極的に楽曲に取り入れたことを皮切りに、バンド内でニュー・ウェイヴ化とアメリカ受容が進み、『モダーン・ミュージック』(1979年)の頃には、ディーヴォのような格好をして、既存の楽曲を解体・再構築するニュー・ウェイヴ・バンドと化した。その格好はすぐに止める事になるが、アルバム制作の際に「縛り」を入れるというルールが残った。『カメラ=万年筆』(1980年)は「架空の映画のサウンド・トラック」をテーマにヌーヴェルヴァーグの映画のタイトルを借用し、楽曲は別物にすり替えた曲が中心となるコンセプト・アルバムになった。
ジャパン・レコード - キャニオン・レコード時代
1981年にはジャパン・レコードへ移籍。移籍第1弾アルバム『マニア・マニエラ』は全編にコンピュータを取り入れ、またドラム等の楽器をパーツごとに別々に録音するなど、実験的なレコーディングが試みられ、テクノ・ミュージックやニュー・ウェイヴの頂点ともいうべき作品に仕上がっている。しかし、経費が高額となりレコード会社から「難解すぎる」「これでは売れない」と評されたため、メンバー自ら発売中止を決定した。直後、次作『青空百景』のレコーディングを開始。『マニア・マニエラ』は、当時まったく普及していなかったCDで発売(後に1984年にカセットブック、1986年にキャニオン・レコードよりLPとして発売)された。
以来、RVC、キャニオン・レコードへ移籍しながらコンスタントにアルバムを発表した。その後、1986年11月21日の『DON'T TRUST OVER THIRTY』発表後、結成10周年記念として行われた、東京・恵比寿ファクトリー(東京都渋谷区:現在は閉鎖)でのライブの影響や、鈴木慶一の耳などの病気により5年間にわたって活動を停止。メンバーは任天堂のゲームソフト「MOTHER」の音楽制作(鈴木慶一の作品)や音楽プロデュース、ソロアルバムの制作など活発なソロ活動を展開していた。
東芝EMI時代 - 無期限活動休止
活動停止期間中には、このまま自然消滅か?との憶測も流れたが、1991年4月26日に東芝EMI移籍第1弾アルバム『最後の晩餐』を発表。この年のNHKホール(東京都渋谷区)におけるライブのチケットは即日ソールドアウトとなり、待望の復活を果たした。さらに、この後もファンハウス、キューン・ソニーレコードと移籍を繰り返しながらも(音楽業界の江夏豊と冗談半分で称された)作品を次々と発表し、1999年にはワーナーミュージック・ジャパンのDREAM MACHINEレーベルに移籍し、関係者を驚かせた。そして2年後の2001年には、デビュー25周年を記念してアルバム『Dire Moron TRIBUNE』とファーストアルバム『火の玉ボーイ』の再発売盤をリリースした。2004年には自らのバンド名を冠したレーベルMoonriders Recordsを創立する。2006年にはデビュー30周年を迎え、日比谷野外音楽堂での多くのゲストを招いての記念ライブ、年末の全国ツアーライブ、アルバム『MOON Over the ROSEBUD』のリリースなど、活発な活動を行った。
35周年となる2011年11月11日、公式サイトにて2011年内をもって無期限活動休止に入ることを発表。日本最初期の現役ロックバンドの突然ともいえる活動休止宣言に多くのメディア、ファンが驚いた。同時に、2011年11月11日午後11時11分より12月31日までの期間限定で、新曲「Last Serenade」を無料配信することも発表された。2011年12月30日にはタワーレコード新宿店の屋上でフリーライブを開催、ルーフトップ・コンサートと銘打たれた(ライブの模様はほぼ日刊イトイ新聞でも生配信された)。翌12月31日、ファンクラブ限定ライブの開催をもって全てのライブ活動を終了した。
2013年12月17日、メンバーのかしぶち哲郎が死去したことが同年12月20日に発表された[2]。
音楽性
彼らの音楽的先進性については、アルバム『ヌーベル・バーグ』(1978年発売)に収録されている楽曲において、当時登場したばかりのシンセサイザーを積極的に楽曲に取り入れたこと、アルバム『モダーン・ミュージック』(1979年)では当時最先端であったニュー・ウェイヴを取り入れたこと、『マニア・マニエラ』(1981年11月24日から録音開始)において、ローランド MC-4というミュージックシーケンサーを取り入れたことなどからもわかる。
現在もソロ活動、音楽プロデューサーなどメンバー個人の活動のほか、アルバム制作やライブ活動も精力的におこなっている。メンバー全員がソングライティング(作詞・作曲・編曲・ボーカル)やプロデュース業、スタジオ・ミュージシャン業をこなすという稀有なバンドであり、その膨大な作品群は2001年より「ムーンライダーズのイイ仕事」シリーズとしてビクター、フォーライフ、ユニバーサル、徳間ジャパン、クラウン、東芝EMI、ワーナー、ポニーキャニオンなど各社よりオムニバスアルバムとしてリリースされている。それぞれ多くのCM曲を手がけており、近年では「マツダ(1996年のマツダに乗りに行こうシリーズ。キャロル、カペラ、ボンゴフレンディなど)」「PlayStation」、「アロエリーナ」、「ドコモダケ」等がある。楽曲のスタイルは常に変遷しているが、メンバーの全員がリードボーカルを担当しており、主要曲は男性ユニゾンとコーラスワークを基本とした曲作りとなっている。
一時期のアルバムや楽曲タイトルは、既存の物事から引用したものが多かった。同様にタイトルや歌詞に犬が頻繁に登場することも特徴といえる。
アルバム収録曲は基本的にメンバーの投票によって決定されるが、0票だから収録されないということもないという。毎回50曲ほどのボツ曲があるとのことで、それらの曲はソロや提供曲で再利用されることもあるという。初期のアルバムでは先着順もあった。鈴木慶一曰く、自分は出だしはいいがサビが苦手なので、他のメンバーのいいサビと繋げることもあるという。
メンバー
最終メンバー
- 鈴木慶一 (ボーカル、ギター、キーボード)
- 岡田徹 (キーボード、コーラス、ボーカル)
- 武川雅寛 (ヴァイオリン、トランペット、マンドリン、ギター、コーラス、ボーカル)
- 白井良明 (ギター、シタール、ギタギドラ、チター(ツィター)、コーラス、ボーカル)
- かしぶち哲郎 (ドラム、パーカッション、ギター、コーラス、ボーカル)
- 鈴木博文 (ベース、ギター、コーラス、ボーカル)
元メンバー
- 椎名和夫 (ギター)
- 土井正二郎 (ドラムス)
- 元はちみつぱい。1975年、かしぶちがアグネスのツアーに参加しなかった時期に加入。1976年、『火の玉ボーイ』発表後に脱退。椎名以上にムーンライダーズのメンバーとして振り返られる事の無い人物。
ディスコグラフィ
シングル
- スカンピン c/w あの娘のラブレター(1977年)
- ジェラシー c/w Beep Beep Be オーライ(1977年)
- ヴァージニティ c/w ヴィデオ・ボーイ(1979年)
- モダーン・ラヴァーズ c/w 鬼火(1980年)
- 彼女について知っている二・三の事柄 c/w 地下水道(KANAL DUB)(1980年)
- エレファント c/w ヴィデオ・ボーイ(NEW RECORDING)(1981年)
- 僕はスーパーフライ c/w くれない埠頭(1982年)
- M.I.J. c/w GYM(1984年)
- 花咲く乙女よ穴を掘れ c/w 滑車と振子(1986年)
- 夏の日のオーガズム c/w 今すぐ君をぶっとばせ、夏の日のオーガズム(Poolside Mix)(1986年)
- ダイナマイトとクールガイ c/w シリコン・ボーイ(1992年)
- 海の家 c/w Love Me Tonight(Fuge Garage Mix)(1995年)
- 冷えたビールがないなんて c/w おかわり人生、ボクハナク(Beach House Mix)(1995年)
- 9月の海はクラゲの海 c/w 9月の海はクラゲの海(DEEP SEE MIX)、9月の海はクラゲの海(COSMIC TRAVELER MIX)(1995年)
- HAPPY/BLUE'95 c/w ぼくはタンポポを愛す(1995年)
- ニットキャップマン c/w ビアティテュード(1996年)
- 恋人が眠ったあとに唄う歌 c/w 酔いどれダンス・ミュージック(1998年)
- Sweet Bitter Candy -秋〜冬- c/w Sweet Bitter Candy-秋〜冬-(Tabacology Mix)、月夜のドライヴ(Sweet Bitter Candyのみムーンライダーズ feat. 奥田民生、1998年)
- kissin' you till I die/pissism a go go c/w pissism a go go(2001年、配信限定曲『pissin' till I die/pissism a go go』を一部変更したもの)
- ゆうがたフレンド(公園にて)(2006年、『ゆうがたフレンド』としてiTunes Storeバージョンが公開されている)
- Cool Dynamo,Right on c/w Cool Dynamo,Right on (RIOW ARAI MIX)(2007年)
- Tokyo, Round and Round(2008年、配信)
- 恋はアマリリス(2009年、配信)
- You & Us(2009年、配信)
- Tokyo Navi(2009年、配信)
- 三日月の翼(2009年、配信)
- Come Up(2009年、配信)
- ゲゲゲの女房のうた(A Ge Ge Version) c/w 日曜はダメよ、くれない埠頭 2010(ムーンライダーズ feat. 小島麻由美、2010年)
アルバム
- 火の玉ボーイ(1976年1月25日) ※鈴木慶一とムーンライダース名義
- MOON RIDERS / ムーンライダーズ(1977年2月25日)
- Istanbul mambo / イスタンブール・マンボ(1977年10月25日)
- NOUVELLES VAGUES / ヌーベル・バーグ(1978年12月25日)
- MODERN MUSIC / モダーン・ミュージック(1979年10月25日)
- CAMERA EGAL STYLO / カメラ=万年筆(1980年8月25日)
- 青空百景(1982年9月25日)
- MANIA MANIERA / マニア・マニエラ(1982年12月15日)
- AMATEUR ACADEMY / アマチュア・アカデミー(1984年8月21日)
- ANIMAL INDEX / アニマル・インデックス(1985年10月21日)
- DON'T TRUST OVER THIRTY(1986年11月21日)
- 最後の晩餐(1991年4月26日)
- A.O.R(1992年9月30日)
- ムーンライダーズの夜(1995年12月1日)
- Bizarre Music For You(1996年12月4日)
- 月面讃歌(1998年7月18日)
- dis-covered(1999年11月25日)
- Dire Moron TRIBUNE(2001年12月12日)
- P.W Babies Paperback(2005年5月11日)
- MOON OVER the ROSEBUD(2006年10月25日)
- Tokyo7(2009年9月16日)
- Ciao!(2011年12月14日)
マキシ・ミニアルバム
- 夏の日のオーガズム(1986年6月21日)
- Beautiful Young Generation HIGH SCHOOL BASEMENT 1(1995年3月1日、カバーアルバム)
- La Café de la Plage(1995年6月25日、セルフカバーアルバム)
- Six musicians on their way to the last exit(2000年12月15日)
- No.9(2004年2月23日、映画「東京ゴッドファーザーズ」のエンディングテーマ「No.9」などを5.1chで収録したSACD。サウンドトラックアルバム未収録のアウトテイクを含む全8曲を収録)
- Here we go'round HQD(2009年9月1日、配信限定シングルコレクション)
サウンドトラック
ライブアルバム
- THE WORST OF MOONRIDERS(1986年9月5日)
- a touch of fullmoon shows in the night(2000年7月7日)
- マニアの受難 PASSION MANIACS Original Soundtrack(2006年11月2日)
- moonriders LIVE at MIELPARQUE TOKYO HALL 2011.05.05“火の玉ボーイコンサート”(2012年1月25日)
ベストアルバム
- 東京一は日本一(1981年5月25日)
- 12コレクト(1984年9月21日)
- ベスト・セレクション(1986年3月15日)
- ティン・パン・アレー+ムーンライダーズ(1986年9月5日)
- ベスト16 スイマー〜ジェラシー(1987年3月1日)
- 全曲集(1988年9月21日)
- ベスト(1989年10月5日)
- ベスト15(1992年8月21日)
- The Best of Luck!(1993年5月21日)
- Best of MOONRIDERS 1982→1992 Keiichi Suzuki sings MOONRIDERS(1994年3月23日)
- 短くも美しく燃え(1997年12月17日)
- アンソロジー 1976-1996(1998年5月2日)
- かしぶち哲郎SONGBOOK(1998年5月2日)
- TWIN BEST(1999年3月10日)
- MOONRIDERS SELECTION(2003年5月1日)
- Anthology moon riders BEST(2003年7月16日)
- GOLDEN☆BEST ムーンライダーズ(2004年9月17日)
- NEW DIRECTIONS OF MOONRIDERS vol.1(2006年10月4日)
- クラウン・イヤーズ・ベスト&LIVE(2011年1月12日)
アーカイブシリーズ
- Moonlight Recital 1976(2005年12月7日)
- 1979.7.7 at KUBOKODO(2007年4月4日)
- 1980.2.23 リサイタル―MODERN MUSICの彼方(2007年12月19日)
- LIVE at HIROSHIMA KENSHINKODO 1980.10.11(2009年3月18日)
- IN SEARCH OF LOST TIME VOL.1(2009年10月21日)
- LIVE at SHIBUYA 2010.3.23 "Tokyo 7"(2010年8月4日)
- moonriders LIVE at SHIBUYA KOKAIDO 1982.11.16 青空百景(2013年3月27日)
- LIVE at SHIBUYA KOKAIDO 1984.7.14(2013年3月27日)
ビデオ・DVD
- DREAM MATERIALIZER
- moonriders LIVE at SHINJUKU LOFT 2006.4.15 (2008年)
- The Postwar Babies Show(2005年)
- 月面讃画〜ムーンライダーズ・月面サマーツアー1998
- PASSION MANIACS マニアの受難(2006年)
- Ciao!THE MOONRIDERS LIVE 2011(2012年)
書籍
- ムーンライダーズ詩集(1986年)
- フライト・レコーダー
- 火の玉ボーイとコモンマン 東京・音楽・家族 1951〜1990(1989年)
- ユリイカ 2005年6月号 特集 ムーンライダーズ 薔薇がなくちゃ生きてゆけないんだってば!
- ミュージック・マガジン増刊 ムーンライダーズの30年(2006年)
- 月光下騎士団大事典~ムーンライダーズデビュー30周年記念目録(2007年)
テレビ
- MUSIC JAPAN(NHK総合、2010年12月5日)出演
その他
- 後のミュージシャン、漫画家、作家などにも多大な影響を与えた。江口寿史[3]、貞本義行[4]、わかつきめぐみ[5]、松田洋子[6]、やまだないと[7]、山本直樹[8]、谷川史子[9]、犬上すくね[10]、久保ミツロウ[11]、みうらじゅん[12]、いしかわじゅん[13]、及川光博[14]、aiko[15]、ハヤシ(POLYSICS)[16]、辻仁成[17]、ナンシー関[18]、岩井俊二[19]、かがみふみを[20]、香山リカ、よしもとよしとも、アーバンギャルドら。また、「ムーンライダーズの弟バンド」と称されたバンドにカーネーション、GRANDFATHERSがいて、互いの音楽活動によく参加している。
- アニメーション作品『魔法遣いに大切なこと 〜夏のソラ〜』に登場するストリートミュージシャンであるYASUKOが楽曲を歌う。『神様のメモ帳』でサブタイトルに楽曲名が引用される。
- 2011年7月27日、森山良子がデビュー45周年記念シングルとして「6つの来し方行く末」をカバー、11月6日に「ミュージック・フェア」に出演した際はバックバンドとしてムーンライダーズ全員が出演。歌詞の内容に合わせて、メンバー全員の氏名と生まれ月が表示された。
関連項目
- はちみつぱい
- あがた森魚
- ビートニクス
- イエロー・マジック・オーケストラ
- 青山陽一
- 糸井重里
- カーネーション
- GRANDFATHERS
- サエキけんぞう
- 鈴木さえ子
- XTC
- はっぴいえんど
- ポカスカジャン
- 真心ブラザーズ
- 野田幹子
- 矢野顕子
脚注
外部リンク
- moonriders.net - 公式サイト
- ムーンライダーズオフィシャルMYSPACE
- ムーンライダーズ特集 recommuni
- 鈴木慶一 インタビュー recommuni
- ↑ アグネス・チャンとの共演は、その後、2009年9月2日発売の「あなたの忘れ物」の演奏やプロモーションビデオへの参加、2010年3月16日の日本武道館でのコンサートの一部バッキングという形で再現された。
- ↑ ムーンライダーズのドラマー、かしぶち哲郎が逝去。享年63歳(2013年12月20日)、Ro69、2013年12月20日閲覧。
- ↑ 「江口寿史の爆発ディナーショー」あとがきより
- ↑ ファンであることを公言、ジャケットも手がける他、コミック版の「新世紀エヴァンゲリオン」では楽曲のタイトルを引用している
- ↑ コミックで紹介しており、アルバム「宝船ワールド」は鈴木慶一が担当
- ↑ 「F vol.41」より
- ↑ コミックス、作品に楽曲タイトルを使用。また鈴木慶一とのコラボ作品「Yの思い出」がある
- ↑ 大学時代からのファン、「F vol.41」では対談も果たしている
- ↑ 公式サイトのプロフィールより
- ↑ 自作のタイトルに、ムーンライダーズの曲名をもじったものが多数存在する。
- ↑ 『モテキ』のサブタイトルにおいて、ムーンライダーズの曲名を引用している。
- ↑ 影響されて作った楽曲があり、メンバーとの交流もある
- ↑ 「20世紀のムーンライダーズ '98」より
- ↑ いくつかの楽曲をカヴァーしている
- ↑ ファンクラブのイベント『BABY PEENATS MEETING vol.1』で「ニットキャップマン」をカバーしている。
- ↑ 80年代から気に入って聞いており、現在でも新作を聴いている。(WEBマガジン『Tune in』「鈴木慶一×サエキけんぞう×ハヤシ」の対談より)
- ↑ 戯曲「フラジャイル」にスズキケイイチA,B,Cなる人物が登場し、単行本では鈴木慶一と対談している
- ↑ ムーンライダーズ公式サイトに、ナンシーによるメンバー全員の消しゴムアートが掲載されている。またネット上で行われたチャットにも参加している。
- ↑ 監督作に鈴木慶一を役者として起用、またバンドの20周年記念プロモーションビデオ(ニットキャップマン)の監督を担当。このP.V.を中心にして、ビデオ作品『毛ぼうし』を製作。
- ↑ 自作のタイトルやセリフにムーンライダーズの曲名を引用したりもじったものが多数存在する他、自作「きみといると」では岩井良明なる人物が登場する。