浅井美幸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:政治家浅井 美幸(あさい よしゆき、1927年8月25日 - 2009年10月4日)は、日本の政治家。東京都出身。衆議院議員。
経歴
1927年8月25日、東京都に生まれる。 1948年、東京歯科医専(現・東京歯科大学)を卒業する。
1967年、公明党の衆議院初進出となる衆院選に旧大阪2区から立候補し、初当選する。国会対策委員長に就任する。
1970年、公明党委員長の竹入義勝を団長とする第1次公明党中華人民共和国訪問団(訪中団)に参加し副団長に就任する。1971年から1972年の田中角栄首相自民党総裁の中国訪問までに第2次、第3次の訪中団として日中間の交渉をおこなう。18年に渡り中央執行副委員長を歴任する。
1989年、リクルート事件に伴う公明党委員長の矢野絢也の明電工事件発覚により、執行部の責任を執って副委員長を辞任し公明党の役職から外れる。
1993年、政界を引退する。
2009年10月4日、肺炎のため死去テンプレート:没年齢[1]。