七手組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
七手組(ななてぐみ)は、豊臣秀吉が創設した旗本衆。七隊長・御馬廻七頭ともいわれている。
七手組は秀吉が存命中に約1万の精鋭を7つの部隊にわけ、豊臣氏の身辺警護から朝廷への儀礼などに用いた部隊。組頭は概ね1万石程度の所領を持っている。秀吉死後は豊臣秀頼に仕え、関ヶ原の戦いでは主に大坂城の警護任務に終始した(一部は関ヶ原で西軍側につき参戦)。
晩年は秀吉より任命された組頭も引退し、その子たちが受け継いだため戦闘力の著しい低下を招いたが、1615年の大坂の陣では七手組組頭7人の内の4人までが落城と共に討ち死を遂げた。残りは、青木一重は元徳川氏家臣であったため、大坂の陣後に徳川氏に帰参。伊東は徳川氏、真野は藤堂高虎にそれぞれ仕えた。
主な組頭
郡宗保が追加される場合もある。