レーニエ3世
テンプレート:基礎情報 君主 レーニエ3世(Rainier III de Monaco, Rainier Louis Henri Maxence Bertrand Grimaldi, 1923年5月31日 - 2005年4月6日)は、モナコ公国大公(在位1949年5月9日 - 2005年4月6日)。
父はポリニャック伯ピエール、母はモナコ大公ルイ2世の娘シャルロット(ヴァレンティノワ女公)。妻はハリウッド女優であったグレース・ケリーである。
なお、フランス語の発音に近い表記は、レニエである。
生涯
レーニエ3世はフランス、スペイン、ドイツ、イングランド、スコットランド、オランダ、イタリアの血を引いており、祖先にはスコットランド王ジェームズ4世、ナポレオン・ボナパルトの養女であったステファニー・ド・ボアルネ、18世紀のイギリス人作家ウィリアム・トマス・ベックフォード、オラニエ公ウィレム1世、イングランド王チャールズ2世の愛妾でイタリア人であったオルタンス・マンチーニ、マリー・アントワネットの寵臣ポリニャック伯爵夫人、デンマーク王フレゼリク2世などがいる。
ポリニャック伯爵ピエールとシャルロットの間にアルジェリアで生まれる(アントワネット公女という姉がいる)。
イギリスのパブリックスクールを卒業後、スイスのル・ロゼを卒業。モンペリエ大学、パリ政治学院に学ぶ。第二次世界大戦時フランス軍に従軍。大佐まで進む。
祖父ルイ2世の死去により即位。
1940年代から1950年代にかけて、女優のジゼル・パスカルと交際していた。
カンヌ映画祭で知り合った女優グレース・ケリーと恋に落ち、1956年に結婚。翌1957年にカロリーヌ公女、1958年に後継者であるアルベール公子、1965年にステファニー公女らが生まれたが、当の子供たちの相次ぐ不幸に見舞われ、1982年9月14日に大公妃グレースが自動車事故で逝去。大公は悲しみにくれたが、大公としての勤めを継続していた。
カーマニアとして知られ、自動車博物館を公開している。伝統のモナコグランプリではレース前に大公妃を乗せたオープンカーを運転してパレード走行を行っていた。
憲法改革や、モナコ公国の経済基盤をモータースポーツなどギャンブル事業以外にも発展させるなどの功績があった。
2004年の初め、冠状動脈疾患により入院。同年10月26日には、肺感染症のため再び入院した。2005年3月21日に集中治療室に移された。3月23日、心不全と腎不全で人工呼吸の状態になった(これに伴い3月31日、公太子であるアルベールが大公としての職務を代行)。4月6日、肺感染症などにより死去。
レーニエ3世を扱った作品
- グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札 - 2014年の映画。ティム・ロスがレーニエ3世を演じている。
外部リンク
|
|