中村一生

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テンプレート:Infobox baseball player 中村 一生(なかむら いっせい、1982年4月2日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手外野手)。

来歴・人物

プロ入り前

東海大浦安高時代は、テンプレート:By第82回全国高等学校野球選手権大会に出場。5番・中堅手として準優勝に貢献。

高校卒業後は、国際武道大学に進学。千葉県大学リーグでは、広い守備範囲と俊足の外野手として評価された。

2004年のドラフト中日ドラゴンズから7位指名され入団。国際武道大からは高橋光信(現・阪神タイガース一軍打撃コーチ)に続き、2人目のプロ野球選手となった。

中日時代

ファイル:CD-Issei-Nakamura-2.jpg
中日時代(2009年7月16日、ナゴヤ球場)

テンプレート:Byからテンプレート:Byまでの3シーズン、一軍昇格はなかった。テンプレート:Byフレッシュオールスターゲームではホームランを含む2安打を放ち優秀選手に選ばれた。

テンプレート:By、初めて一軍に昇格し、9試合に出場。8月4日に山本昌が通算200勝を達成した試合では6番・右翼手でフル出場し、ウィニングボールを掴んでいる。クライマックスシリーズでは、守備要員として一軍に帯同した。同年9月、5歳年上の女性と結婚。

テンプレート:By、春季キャンプは一軍スタートだったが、開幕を二軍で迎える。7月に一軍昇格。7月17日の横浜戦でプロ入り初本塁打を放った。

テンプレート:Byはわずか7試合の出場に終わった。

テンプレート:Byは一度も一軍に昇格することがなく、11月11日戦力外通告を受けたが[1]12月19日オリックス・バファローズが獲得を発表した。

オリックス時代

テンプレート:Byは開幕二軍スタートとなったが、5月17日の対巨人戦で坂口智隆が試合中に負傷したのを受け、5月19日に一軍登録。一軍昇格後は代走・守備要員、相手投手が左投手時のスタメンとして出場機会を得た。外野手のバックアップとしてシーズン終盤まで帯同し、中日時代の通算26試合を上回る62試合に出場した。打撃では60打席中4割に相当する24三振を喫して打率.204に留まったが、中日時代を上回る11安打6打点を記録し、5月23日の対阪神戦では岩田稔から3年ぶりの本塁打、5月31日の古巣・中日戦では3番でスタメン出場を果たして同点の犠飛を放つ活躍もあった。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 中日 9 11 9 0 3 2 0 0 5 2 0 0 0 0 2 0 0 1 0 .333 .455 .556 1.010
テンプレート:By2 10 18 16 4 5 0 0 1 8 2 0 0 0 1 1 0 0 5 0 .313 .333 .500 .833
テンプレート:By2 7 4 4 2 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
テンプレート:By2 オリックス 62 60 54 8 11 4 0 1 18 6 0 1 2 1 2 0 1 24 0 .204 .241 .333 .575
テンプレート:By2 34 37 34 3 9 3 0 0 12 1 2 1 0 0 3 0 0 14 1 .265 .324 .353 .677
通算:5年 122 130 117 17 28 9 0 2 43 11 3 2 2 2 8 0 1 47 1 .239 .289 .368 .657
  • 2013年度シーズン終了時

年度別守備成績

年度 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2008 8 8 0 0 0 1.000
2009 9 15 2 0 0 1.000
2010 7 2 0 0 0 1.000
2012 58 46 1 0 0 1.000
2013 33 20 0 0 0 1.000
通算 115 91 3 0 0 1.000
  • 2013年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 51 (2005年 - 2011年)
  • 63 (2012年 - )

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:オリックス・バファローズ

テンプレート:中日ドラゴンズ2004年ドラフト指名選手
  1. 来季の選手契約について中日ドラゴンズ公式サイト 2011年11月11日閲覧