テオドシオス3世
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テオドシオス3世(テンプレート:Lang-grc(Teodosios III)、生没年不詳)は、ヘラクレイオス王朝断絶後の東ローマ帝国の皇帝(在位:715年 - 717年3月25日)。
もとはアドラミュティオン(現在のトルコのエドレミット)の徴税役人であったが、時の皇帝・アナスタシオス2世に対してテマ・オプシキオンが反乱を起こすと、反乱軍に担ぎ上げられて対立皇帝とされた。反乱軍はコンスタンティノポリスに攻め寄せてその攻略に成功したため、小アジア半島に避難していたアナスタシオス2世も降伏して退位した。その結果テオドシオス3世が皇帝となった。彼が皇帝となった理由として、実はティベリオス3世の息子であったからであるとする有力な見解が提出されている。
しかし、テオドシオス3世の権力は脆弱であった。その理由は彼がテマ・オプシキオンの暴走によって即位したため、他のテマや中央の官僚たちの支持を完全には得られなかったことや、既にコンスタンティノポリスを目指してウマイヤ朝の軍勢が小アジア半島内部に侵入してきていたにも関わらず、彼には軍事的才能がなかったことがあげられる。このため717年、テマ・アナトリコンの長官であったレオーン(のちのイサウリア王朝初代皇帝・レオーン3世)に反乱を起こされて退位を迫られる。テオドシオス3世は身の安全を保障するという条件で退位し、レオーンが即位した。その後修道士となり、エフェソスで754年以降に没した。