磯田多佳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年9月4日 (水) 16:55時点における今紫 (トーク)による版 (カテゴリ追加)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

磯田多佳(いそだ たか、本名:たか、1879年 - 1945年)は、祇園甲部の芸妓で京都市東山区祇園新橋に営業していたお茶屋『大友(だいとも)』の女将。

ファイル:磯田多佳1.jpg
祇園の文人茶屋・大友の女将、磯田多佳。)
ファイル:磯田多佳2.jpg
祇園の文人茶屋・大友の女将、磯田多佳。五つ紋付きの引き着で。)

明治十二年(1879年)に祇園に生れる、姉は祇園一力亭の女将おさだである。 多佳は6歳で井上八千代に入門。そこで芸を磨き、10代で芸妓となる。23歳で母の家業を継ぎ、夏目漱石をはじめ谷崎潤一郎吉井勇など多くの文学者との交流し、『文学芸妓』と呼ばれるようになった。当時白川の両岸には数軒の御茶屋が立ち並び、その中に『大友』が含まれていた。しかし、戦局が悪化し多くのお茶屋が廃業を余儀なくされ、空襲に伴う災害を防ぐため強制疎開が行われ、多佳が守っていたお茶屋も撤去され、彼女は悲しみにくれた。後に「大友」の跡地には吉井勇の「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕の下を水のながるる」と書かれた歌碑が建てられた。1945年にその生涯を閉じる。

テンプレート:祇園甲部テンプレート:Japanese-history-stub テンプレート:Asbox