佐藤友則

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佐藤 友則(さとう とものり、男性、1977年12月31日 - )は、日本キックボクサー北海道札幌市出身。OGUNI-GYM所属。現在はTOMONORIというリングネームで戦っている。第7代NJKFフライ級王者、MACH GO! GO! '06フライ級最強決定トーナメント優勝者、WMCインターコンチネンタルスーパーフライ級王者、UKF世界バンタム級王者、初代WBCムエタイルールバンタム級日本統一王者。

来歴

幼少期

幼少期にブルース・リーといった香港映画スターに憧れて、小学生の頃から空手を始める。中学3年生のときまでに、多くの大会で優勝した。高校入学後にアマチュアボクシング柔道を始めた。柔道では、一週間練習しただけで小規模の大会で優勝した。その後UFCの影響もあって、プロ総合格闘家になるため、高校を中退して上京した。アマチュア修斗に出場しようと応募するが、出場可能な階級がなかったため断られた。そこで同じ中学出身だった大宮司進から、タイでの修行の話を聞き、キックボクシングに興味を持つようになり、アクティブJに入門する。その頃、アクティブJのタイ支部が出来たため、タイに渡る。

プロデビュー

1997年9月28日に単身タイに渡り、タイのラジャダムナン・スタジアムでプロデビューする。タイ人に破れ、デビュー戦を黒星でスタートさせる。翌1998年2月28日に、NJKF加盟ジムに所属し、日本でもプロデビュー。柏木吾一に勝利する。1999年にOGUNIジムに移籍。

5Rに昇格し、2001年5月25日に押川童子丸と再戦。前回はTOMONORIの不戦勝だった。1R開始直後にハイキックでダウンを奪われるが、その後肘打ちでTKO勝ちをおさめた。

2003年4月6日にオランダで開催された「K-1 WORLD GP 2003 世界地区予選オランダ大会」のフレッシュマンファイト(2分5R)に出場。モハメド(モロッコ)と対戦し、4Rに1度ダウンを奪ったが、結果はドローに終わった。

11月9日に行われたNJKF興行の「VORTEX X」のNKBフライ級王者決定戦に出場。この頃はNJKFはNKBに加盟していたため、NKBの王座に挑戦した。TOMONORIは同級1位にランクされており、高橋拓也(同級2位)と対戦。相手のパンチのラッシュに付き合ってしまい1RKO負けを喫し、王座獲得に失敗した。

世界王座獲得

2004年3月13日、アメリカ合衆国オクラホマ州エリザベス・ルイス(アメリカ)の持つUKF世界バンタム級王座に挑戦。3R目にハイキックでKO勝ちし、王座を獲得。

2004年10月17日、ダミアン・トレイノーイギリス / WMCヨーロッパスーパーフライ級王者)との王者決定戦において判定0-2で下しWMCインターコンチネンタルスーパーフライ級王者になる。

2006年1月15日にNJKF興行「ADVANCE I 〜前進〜」において行われた2005年度NJKF年間表彰で、4戦4勝3KOの好戦績を残したことと、タイでの試合が評価され殊勲賞と格闘技通信賞を受賞した。

最初の日本王座獲得

4月9日、高橋拓也(拳之会/王者)の持つNJKFフライ級王座に挑戦し、判定3-0で下し新王者になる。

MACH GO! GO!優勝

9月1日にJ-NETWORK主催のフライ級トーナメント「MACH GO! GO! '06 〜フライ級最強決定トーナメント1回戦〜」に出場。飛燕野嶋(MA日本フライ級2位)と対戦し、5R判定0-0で延長Rに突入。手数でわずかに上回り、6R判定3-0で準決勝に進出した。TOMONORIは、この試合前の練習中に肋骨を骨折し、満足に動ける状態ではなかった。なお、公式上のこの試合結果は、5R0-0ドローである。またルールで、延長Rは2分となっている。

10月1日に松尾崇(J-NETWORKフライ級2位)と対戦。1R終了時の負傷判定3-0で勝利し、決勝戦進出を決めた。1R終了のゴングがなった直後に、右ハイキックが松尾に当たり、松尾はダウンした。インターバル終了後も松尾にダメージが残っていたため、ドクターストップがかかった。ゴングがなった瞬間、既にTOMONORIがパンチから繋がる右ハイキックのコンビネーションを出していたことと、流れの中での攻撃であったためにレフェリーが止めに入る前の攻撃だったことから反則は取られなかった。

11月22日「MACH GO! GO! '06〜フライ級最強トーナメント」の決勝戦に出場し、魂叶獅(J-NETWORKフライ級王者)と対戦。1Rに右ストレートでダウンを奪うと、5R判定3-0で優勝。ジャッジのスコアでは3、4点差がつく大差だった。

ムエタイ世界王座挑戦

2007年3月18日にラッタナデェ・KTジム(タイ/元ルンピニー・スタジアムミニフライ級王者)と対戦。1R終了間際に左フックのクロスカウンターでダウンを奪われ、1R3:05KO負けを喫した。試合翌日に、ジムの会長に再戦を直訴した。また、ゴング格闘技2007年4月号のインタビューで、自身の目標がK-1出場であり、相手は70kgでもヘビー級でも構わないと発言した。

7月29日にディファ有明でラッタナデェ・KTジム(タイ)と再戦。ラッタナデェはルンピニー&ラジャダムナン・スタジアムミニフライ級1位のランカーになっており、試合開始前の名前コールで紙テープが頭に直撃するというハプニングがあった。しかし、離れ際の左フックで1R2:15KO勝ちした。

9月1日にタイのバンコク国立競技場で行われたWPMF世界スーパーフライ級王者決定戦で、ダーウサミン・イングラムジム(タイ/ラジャダムナン・スタジアムフライ級10位)と対戦。5R判定3-0で敗れ、王座獲得に失敗した。スコアはジャッジ全員が49-48という微妙な判定だった。

翌10月14日にWMC世界スーパーフライ級王者決定戦に出場。チャオタピー・ギャットコーウィット(タイ/WMC世界バンタム級6位)と対戦し、5R目に膝でダウンを奪われ判定負けした。

12月22日に地元札幌Zepp Sapporoで「NORTH LEGEND in Zepp Sapporo KICK BOXING FIGHTING 2007」という興行を自らプロデュースし、UKF世界バンタム級王座防衛戦を行った。チェ・ジンスン(韓国)と対戦し、3Rに右ローキックでダウンを奪い、4Rにさらに同じように右ローキックでダウンを奪うと、セコンドがタオルを投入し、4R0:43KO勝ちした。2R終了時に、TOMONORIがゴングの音に気づかず攻め続けてしまい、相手のセコンドが怒ってリング上で抗議するという一幕があった。この興行はレフェリーとジャッジ団がNJKF公認ではなかったため、NJKF非公式の戦績となっている。

2つ目の日本王座獲得

2009年9月23日に後楽園ホールで開催された「WBCムエタイルール日本統一王座決定戦」に出場。スーパーバンタム級の決勝戦(3分5R)で島んちゅ泰(MA日本バンタム級2位)と対戦。3Rにカウンターの右ストレートを当て、3R2:16KO勝ちを収め、初代王者になった[1]

2009年11月22日、第2代RISE55kg級王者決定戦で寺戸伸近と対戦し、2RKO負けで王座獲得ならず[2]

戦績

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獲得タイトル

受賞歴

  • 2005年度殊勲賞(NJKF、2006年1月15日)
  • 2005年度格闘技通信賞(NJKF、2006年1月15日)
  • 2006年度敢闘賞(NJKF、2006年12月23日)
  • 2006年度最高試合賞(NJKF、2006年7月29日のTOMONORI対ラッタナデェ・KTジム)(2007年1月6日)
  • 2007年度格闘技通信賞(NJKF、2007年1月6日)
  • 2007年度GONKAKU賞(NJKF、2007年1月6日)
  • 2007年度スポーツナビ賞(NJKF、2007年1月6日)

出典

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 4階級で初代の日本統一王者が決定 BoutReview 2009年9月25日
  2. [RISE] 龍二がMAX日本T出場権。HAYATO、引退戦は判定負け BoutReview 2009年11月22日