山形県立鶴岡工業高等学校
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テンプレート:日本の高等学校 山形県立鶴岡工業高等学校(やまがたけんりつ つるおかこうぎょうこうとうがっこう)は、山形県鶴岡市に所在する県立工業高等学校。鶴工の通称で呼ばれている。英語表記はTsuruoka Technical High School。
沿革
- 1895年12月28日 鶴岡町立鶴岡染織学校創立(以後、西田川郡立庄内染織学校(1914年)、西田川郡立庄内工業学校(1916年)と改称)。明治政府の殖産興業政策により、鶴岡で絹織物産業が盛んになり、織物組合立染織学校として創設された[1]。
- 1920年2月26日 文部省告示77号を以て工業学校規定に依り山形県西田川郡鶴岡町への山形県立鶴岡工業学校の設置認可。
- 1920年4月1日 山形県立鶴岡工業学校開校。染織、電気機械、木材工芸の3科を設置。(現在の鶴岡工業高校はこの時を同校の開校としている)
- 1922年10月20日 新築校舎本館落成式挙行。(以後、同日を創立記念日とする)
- 1948年4月1日 学制改革により山形県立鶴岡工業学校を前日付にて廃校、新たに山形県立鶴岡第二高等学校を設置。(電気、電気通信、機械、建築、染織の5科を設置する)同日、定時制課程(夜間)設置(電気、機械、建築の3科)
- 1950年3月31日 校名変更により山形県立鶴岡工業高等学校と改称。
- 1962年4月1日 定時制課程に電気通信科設置
- 1963年4月1日 全日制、定時制課程の電気通信科を電子科と科名変更
- 1965年4月1日 全日制染織科を工業繊維科と科名変更
- 1973年4月1日 全日制工業繊維科を色染化学科と科名変更
- 1974年4月1日 全日制に情報技術科設置
- 1977年3月31日 定時制電子科廃止
- 1979年3月31日 定時制電気科廃止
- 1979年4月1日 定時制機械科を機械電気科と科名変更
- 1987年3月31日 定時制機械電気科、建築科募集停止
- 1987年4月1日 定時制工業技術科設置
- 1989年3月31日 全日制色染化学科募集停止
- 1989年4月1日 全日制素材化学科・電子機械科設置
- 1994年7月24日 野球部が全国高等学校野球選手権山形大会4度目の優勝、春夏通じての初の甲子園出場を決める。
(過去3回の優勝時は、1県1代表制ではない時代1951年・1954年は東北大会、1966年は西奥羽大会で敗退の為、甲子園出場ならず)
- 2000年 創立80周年を記念し「100周年を目指し熱く鶴工を想う会」を挙行。
- 2001年 それまでの全日制7学科を募集停止とし、新たに6学科を開設。
- 2003年 全日制7科体制での最後の生徒が卒業。6システム科体制へ完全に移行する。
設置学科
全日制の課程
後部カッコ内は各科の略称である。1年機械システム科の場合、「1G」などと略称で呼ばれることが多い。
全ての学科が「システム科」と称するため、6学科併せて「6システム科」と呼ばれることがある。
- 機械システム科(G科)
- 生産システム科(F科)
- 電気電子システム科(D科)
- 情報通信システム科(I科)
- 建築システム科(B科)
- 環境システム科(K科)
定時制の課程
夜間の課程。修業年限は3年以上。(3年卒業希望者は定通併修、技能審査成果の単位認定を利用)
- 工業技術科
部活動
運動部に関しては、全ての部がほぼ毎年地区高校総体を勝ち抜き、県高校総体に進出する程 活躍し、特に水泳部は毎年インターハイに進出している。
運動部
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文化部
ものづくり研究クラブ
生徒会委員会
交通
周辺には市役所、文化会館、山形県立鶴岡南高等学校、山形県立鶴岡北高等学校、東北公益文科大学、慶應義塾大学先端生命科学研究所、鶴岡アートフォーラム(芸術展示施設)などが存在する。
著名な卒業生
- 佐藤建吉 - 工学博士・千葉大学工学部/大学院・助教授
- 土佐内吉治 - 元プロ野球選手
- 田沢芳夫 - 元プロ野球選手
- 花筏健 - 元大相撲力士
- 高橋達也 - ジャズ・テナーサックス奏者
- 土岐健一 - 水泳選手/世界競泳2007日本代表
- 布川ひろし - 工学博士・岩手県立大学ソフトウェア情報学部/大学院ソフトウェア情報学研究科・教授,コンピュータサイエンス.日本感性工学会 理事・感性事業部会部会長,編集委員.(財)仙台応用情報学研究振興財団 理事・研究主幹,ソフト系ITベンチャー企業の取締役も歴任
- 上林恒平 - 刀工、山形県県指定無形文化財(工芸技術)保持者。
- 五十嵐正 - 教育者、岩手女子高等学校校長