阿胡行宮
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阿胡行宮(あごのかりみや)は持統天皇が、伊勢神宮外宮の第一回式年遷宮に際して宿泊等のために、仮に設けられた施設である。
実際の場所は何れで有ったか、諸説分かれている。
比定候補地
この伊勢への行幸の際、都にて留守をあずかる柿本人麻呂が次の歌を詠んだ。
- 嗚呼見の浦に舟乗りすらむをとめらが玉裳の裾に潮満つらむか(巻一・40)
- 釧着く答志の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ(巻一・41)
- 潮騒に伊良虞の島辺漕ぐ舟に妹乗るらむか荒き島廻を(巻一・42)
一番目の歌にある「嗚呼見の浦」とは、鳥羽市小浜海岸にある浜がアミの浜と呼ばれていることから同地とする説が有力である。また、「見」は「兒」の誤りが伝えられたとし、「嗚呼兒の浦」と解釈し志摩市阿児町国府の海岸などを同地とする説もある。[1]
二番目の「答志の崎」とは鳥羽市答志島にある岬(場所は同定されず)であるとされる。
三番目の歌の「伊良虞」は、愛知県渥美半島突端の伊良湖岬あるいは鳥羽市神島のことであるとされる。
その他の歌
万葉集には他に、阿胡行宮に随行した夫を、都に残った妻が偲ぶ
- 我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ(巻一・43)
や、随行した夫が妻を想う
- 我妹子をいざ見の山の高みかも大和の見えぬ国遠みかも(巻一・44)
が記されている。
「名張」は三重県名張市、「いざ見の山」は、三重県・奈良県境の高見山とされている。