カール16世グスタフ (スウェーデン王)
テンプレート:基礎情報 君主 カール16世グスタフ(テンプレート:Lang-sv、カール・グスタフ・フォルケ・フーベルトゥス・ベルナドッテ、テンプレート:Lang-sv、1946年4月30日 - )は、ベルナドッテ王朝第7代のスウェーデン国王(在位:1973年9月15日 - )。
経歴
出生
テンプレート:Swedish Royal Family スウェーデン前国王グスタフ6世アドルフの長男グスタフ・アドルフと、ザクセン=コーブルク=ゴータ公カール・エドゥアルトの娘シビラの第五子(長男)として誕生した。
1946年6月7日に王立教会でウプサラ大司教であるアーリン・エイデムによって洗礼を受け、「イェムトランド公」の称号を与えられ、デンマーク王太子夫妻、ノルウェー王太子オーラヴ、オランダ王太子ユリアナ、国王グスタフ5世、フリードリヒ・ヨシアス、王太子夫妻、フォルケ・ベルナドッテ、マリア・ベルナドッテが代父母となった。
王太孫時代
1947年1月26日、父グスタフ・アドルフが飛行機事故で薨去したため、祖父に継いで王位継承権第2位となった。1950年にグスタフ6世アドルフが高齢で国王に即位した時、王位継承権者であるカール・グスタフはまだ4歳の幼児だった為、グスタフ6世アドルフを最後に君主制を廃止することが議会で議論された。しかし共和制への移行は否決され、正式にカール・グスタフが王太孫となる事が決まった。
高校卒業後は、スウェーデン軍において2年半にわたって教育を受け、1968年にスウェーデン陸海空軍大尉に任官した。その後は、ウプサラ大学とストックホルム大学において、歴史学、社会学、政治学、税法を学んだ。
大学での教育を修了した後は、将来の国王としての役割を果たす事に備える為、裁判所制度や社会団体、労働組合、業界団体など幅広い分野への研究に従事し、特に議会や行政、外交に関する研究には非常に熱心に取り組んでいた。
他にも、国際連合や国際開発協力庁におけるスウェーデン代表の一員として過ごしたほか、ロンドンでは銀行やスウェーデン大使館、フランスでは自国の商工会議所やアルファ・ラバルの現地法人の工場などで体験就労を行った。
即位
1973年9月15日に祖父の後を継いで国王となり、4日後の9月19日にストックホルムの王宮で即位式が執り行われた。翌年のスウェーデン憲法改正ですべての統治権力を喪失し、儀礼的な国家元首の地位となった。
退位論
2010年11月、カール・グスタフが不倫や性風俗店に出入りしていたとする内容の暴露本が出版され騒動となったが、プライバシー重視の国柄もあって騒ぎは一段落していた[1]。しかし2011年5月、証拠とされる裸の女性2人と一緒に撮影した写真をギャングを仲介して買い取ろうとしたことが発覚してスキャンダルが再燃。カール・グスタフ本人は、性風俗店への出入りともみ消し工作への関与を否定し、「退位するつもりはない」と表明したが、地元メディアでは「国王の信頼は失墜した」として退位を求める論調も出ている[2][3][1]。同国の法律では、売春は合法となっているが、買春は違法となっている[4][1]。
人物
- 長年、ディスレクシアを抱えているのではないかとの噂が流れていた。とあるジャーナリストは、国王が継承文書に署名する際、自身の名前を誤って綴った事と、1973年にファールンの銅山を訪問し、岩壁に署名をする際に、自身の名前を“Cal Gustf”と書いた事に言及した。これらの事に関しては、シルヴィア王妃が1997年に出演したテレビ番組のインタビューの中で正式に認めている。同時に、夫妻の子女達も軽度のディスレクシアを抱えている事も公表している。
- 1975年6月25日から1977年2月9日までの間、イギリス海軍の名誉元帥を務めていた事がある。
- 毎年開かれるノーベル賞やポーラー音楽賞の授与式では、プレゼンターとしての役割を務めている。
- 大変なスポーツ好きで、オリンピックやノルディックスキー世界選手権など頻繁にスウェーデンチームの応援に駆けつける事で知られている。
- 自動車にも深い造詣があり、複数のポルシェ・911のほか多数の車を保有している。ちなみに、結婚前の夫妻が最初にマスコミによってスクープされた写真は、2人でポルシェ・911の座席に座っているところだった。
- 2005年の夏に、ノーショーピングで自身が運転する車が事故に巻き込まれ、軽傷を負った事がある。
- 日本へは、1990年に旭川国際バーサースキー大会(現・バーサーロペットジャパン)のために来日したことがある。また2007年3月25日にシルヴィア王妃とともに訪問し、翌3月26日には今上天皇・皇后との晩餐会に臨み、国立科学博物館や太田記念美術館、SONYの本社などを視察したほか、川越市や長崎市を訪れた。
- 移民に対する偏見や迫害が深刻な社会問題となった際は、年末のテレビ演説の中で、現王室のベルナドッテ家がフランスの出身であることに触れ、「私も移民の子孫ですよ」と語り、問題の沈静化に一役買った。
- 2010年11月、カール・グスタフの性風俗店通いや、1990年代の浮気疑惑を指摘する本がスウェーデンにて出版された[5]。
家族
即位前年の1972年、ミュンヘンオリンピック観戦の際、現地でカール・グスタフ王子の世話を担当したのがジルフィア・ゾマラート(母方はブラジル人)、すなわちシルヴィア王妃だった。これをきっかけに交際が始まったが、当初は年上でドイツ人の一般市民ということもあり、結婚にこぎつけるのは大変なことであった。しかし1976年6月19日、2人は晴れて結婚する事となった。この日の披露宴では、スウェーデンを代表するポップ・ブループABBAのメンバーも参列し、新曲だった『ダンシング・クイーン』を初演奏した。この曲は翌年、世界的な大ヒット曲となる。
1982年には、公邸をストックホルム郊外のドロットニングホルム宮殿に移し、それまで住んでいたストックホルム宮殿は公務の場とする事となった。
また夫妻は、次の1男2女をもうけた。
1980年1月1日からは、長子相続制に基づいて、ヨーロッパでは初めて男女に関わらず最初に出生した子供に法定推定相続人の権利が与えられる事となり、2008年現在の王位継承順位第1位は長女のヴィクトリア王女である。
脚注
外部リンク
- スウェーデン王室公式サイト(スウェーデン語及び英語)
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
グスタフ6世アドルフ
|style="width:40%; text-align:center"|スウェーデン国王
1973年 -
|style="width:30%"|次代:
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