ロイ・ジョーンズ・ジュニア

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ロイ・ジョーンズ・ジュニアRoy Jones, Jr.1969年1月16日 - )は、アメリカ合衆国プロボクサーフロリダ州ペンサコーラ出身[1]ミドル級出身でヘビー級の王座を獲得した史上2人目のボクサー。ミドル級、スーパーミドル級ライトヘビー級ヘビー級の4階級を制覇し、長きに渡りパウンド・フォー・パウンド最強と目されていた名選手。

人物

ボクシング史上屈指の身体能力の持ち主と評される。「スタイルがないのがスタイル」と言われる通り、相手に合わせて戦法を変えることが出来る。

重量級としては圧倒的なスピードがあり、腕を後ろに回してラッシュをことごとくかわすなど、防御勘にも長けており、キャリアが非常に長い理由の一つとしてあげられることがある。また、手数はさほど多くないものの、飛び込みざまの左フック、顔面とボディの急所を的確に打ち抜くコンパクトなコンビネーションなど、オフェンスは的確で多彩。特にジャブとダイレクトブローが冴えていた全盛期の彼には、モンテル・グリフィンなどチャンピオン級の選手であっても触れることすら困難を極めた。

また、試合中にダンスやジェスチャーで相手を愚弄することが多々ある。

ボクシング以外のスポーツにも優れ、過去にはユナイテッド・ステイツ・バスケットボール・リーグ(United States Basketball League、米合衆国の独立リーグ)でプレーしていたことがあり、バスケットボールの試合に出場した日の夜にボクシングの試合をしたこともある。またミュージシャンとして自身の名義で複数のヒップホップCDをリリース(音楽に関しては、歌うだけでなく彼自身が直接「Body Head Entertainment」というレーベルを経営していたこともある)するなど、ボクシングだけにとどまらない多彩な才能を持つエンターテイナーである。

来歴

1988年10月2日、ソウルオリンピックボクシング競技ライトミドル級に出場。決勝戦で地元・韓国の朴時憲と対戦。2度ダウンを奪い、有効打も86対32と圧倒した[1]ものの、不可解な判定により2-3で負けて銀メダリストとなった[1]モロッコウガンダウルグアイの審判は韓国選手有利の判定を行ったが、モロッコの審判はこの時の判定についてアメリカ選手が勝つのは確実と思ったため自分が韓国選手に有利な判定をしても4-1でアメリカ選手が勝つだろうと思い開催国に配慮した判定をしたと語った[1]。なおこの時の審判5人はつたない判定を理由にその後2年間の資格停止処分を受けた[1]。同年9月にモスクワで行われた世界選手権の審判13人も同様の理由で資格停止となった[1]。文句なしの勝利を確信していたジョーンズは泣き崩れ、記者会見でも泣きながら「盗まれた金メダルを返してほしい」と訴えたことから、「盗まれた金メダル事件」として知られる。後の調査で韓国サイドによる審判の買収が判明し、IOCの会長からメダルの金レプリカを与えられ、アマチュアボクシングの採点システムが変更されるきっかけとなった。

1989年5月7日、プロデビュー。

1992年12月5日、パーシー・ハリスを4RKOで下し、WBCアメリカ大陸スーパーミドル級王座獲得。

1993年5月22日、バーナード・ホプキンスを12R判定で下し、IBF世界ミドル級王座獲得。試合前に右手を骨折した状態で試合に臨んでおり、試合当日の体重はホプキンスより16ポンド重かった。同王座は1度防衛後に返上。

1994年11月18日、ジェームズ・トニーを12R判定で下し、IBF世界スーパーミドル級王座獲得。2階級制覇に成功した。初敗北を喫したトニーは後日、インタビューで減量苦で計量直前まで利尿剤と下剤を使って減量をしておりコンディションが最悪だったと語っている。同王座は5度防衛後に返上。

1996年11月22日、WBC世界ライトヘビー級暫定王座決定戦でマイク・マッカラムを12R判定で下し暫定王座獲得。後に正規王者に昇格し、3階級制覇に成功した。

1997年3月21日、WBC世界ライトヘビー級王座初防衛戦でモンテル・グリフィンと対戦。圧倒するも9Rグリフィンがダウンしたところに攻撃してしまったために失格負けとなり、王座陥落とともにプロキャリア初黒星となった。

1997年8月7日、モンテル・グリフィンとダイレクトリマッチで対戦。左フックだけを使って開始早々18秒でグリフィンをロープに吹っ飛ばして最初のダウンを奪い、最後は左アッパーで倒し1R2分31秒KOで下し、WBC世界ライトヘビー級王座を奪回。その後、ヘビー級転向を表明したものの、翌1998年にヘビー級転向を撤回。ジョーンズのヘビー級転向表明を受けて同年3月21日にマックス・シュメリング・ハレで行われたWBC世界ライトヘビー級王座決定戦でマイケル・ナンと対戦し、2-1(118-111、115-113、113-116)の判定勝ちを収めたグラシアノ・ロッシジャーニをWBCはWBC世界ライトヘビー級王座の新王者に認定していたが、ジョーンズがヘビー級転向を撤回しWBC世界ライトヘビー級王座を差し戻された為、ジョーンズをWBC世界ライトヘビー級正規王者とし、ロッシジャーニをWBC世界ライトヘビー級暫定王者とする措置を取った為、訴訟問題に発展した。

1998年7月18日、WBA世界ライトヘビー級王者のルー・デル・バーレとWBA・WBC世界ライトヘビー級王座統一戦を行い、3-0(118-109、119-109、118-109)の判定勝ちを収めWBA王座の獲得に成功、WBC王座の初防衛にも成功し、WBA王座とWBC王座の統一に成功した。

1999年6月5日、IBF世界ライトヘビー級王者のレジー・ジョンソンとWBA・WBC・IBF王座統一戦を行い、3-0(120-106、120-106、120-106)の判定勝ちを収めWBA王座は3度目、WBC王座は4度目の防衛に成功、IBF王座の獲得にも成功しWBA・WBC・IBFの3団体の王座を統一した。

2000年5月13日、自身の持つWBA世界ライトヘビー級王座、WBC世界ライトヘビー級王座並びにIBF世界ライトヘビー級王座を懸けてWBA世界ライトヘビー級暫定王者リチャード・ホールと対戦し、11回1分41秒TKO勝ちを収めWBAは王座統一による5度目、WBCは6度目、IBFは2度目の防衛に成功した。

2001年1月、ジョーンズはWBAからWBA世界ライトヘビー級スーパー王座に認定された。

2002年2月2日、無敗のグレン・ケリーとのWBAは9度目、WBCは10度目、IBFは6度目となる防衛戦では、3回と6回にケリーからダウンを奪い、7回には攻勢に出るケリーに対しロープ際に下がり両手を自らの背後へ回してボディワークで翻弄した後、一瞬の隙を突き、背後に回した右手を振り出しカウンターを決め、力量差を示して7回1分55秒TKO勝ちを収めWBAは9度目、WBCは10度目、IBFは6度目の防衛に成功した。2002年11月18日、IBF世界ライトヘビー級王座を剥奪された。

2003年3月1日、ジョーンズは一度棚上げしたヘビー級転向を表明、WBA世界ヘビー級王者ジョン・ルイスに挑戦。公式計量の体重はジョーンズが193ポンド(88kg)、ルイスが226ポンド(103kg)であった。試合ははジョーンズがジャブのみで圧倒、一時はルイスをKO寸前の状態にするなど文句なしの内容で3-0(116-112、118-110、117-111)の判定勝地を収めWBA世界ヘビー級王座の獲得に成功した。ボブ・フィッシモンズ以来106年ぶりとなるミドル級出身者によるヘビー級世界王座獲得を達成し、4階級制覇に成功した。

2003年4月15日、WBA世界ライトヘビー級スーパー王座王座を返上し、WBC世界ライトヘビー級王座も返上した。

2003年11月8日、ライトヘビー級王座返り咲きを狙い、WBC世界ライトヘビー級王者アントニオ・ターバーに挑戦。序盤はターバーの猛攻が続き、ジョーンズはディフェンス一辺倒に追いやられたが、逆に中盤から終盤はジョーンズがコンビネーションで盛り返し、なおも時折ターバーに集中打を浴びながらも、結果として際どい内容で2-0(114-114、117-111)の判定勝ちを収め、WBC世界ライトヘビー級王座を再獲得するとともにWBA世界ライトヘビー級スーパー王座に再認定された。

2004年2月20日、WBA世界ヘビー級王座を返上した。

2004年5月15日、アントニオ・ターバーと再戦。初戦とは逆に序盤から一方的に攻勢をとったものの、2回にターバーの左オーバーハンド一発でダウン、そのまま立ち上がれず2回1分41秒KO負けを喫しWBA世界ライトヘビー級スーパー王座の初防衛に失敗、WBC世界ライトヘビー級王座の初防衛にも失敗し、WBAスーパー王座とWBC王座をターバーに明け渡した。

2004年9月25日、IBF世界ライトヘビー級王者グレンコフ・ジョンソンと対戦し、9回41秒KO負けを喫し王座獲得に失敗した。

約1年間リングから離れる、この頃からHBOの中継で解説の仕事を始める。

2005年10月1日、ターバーとラバーマッチを行ったが、0-3の判定で敗北。この頃急激に負けが込んだ理由として、短い期間にライトヘビー→ヘビー→ライトヘビーと階級の急激な上下を繰り返しており、体調管理の難しさのほかに一度付けた筋肉を落として減量せざるを得なかったことで本来持っていたスピードやパワーに狂いが生じたことがあげられている。評論家の中には、結果的にヘビー級挑戦が彼のキャリアの凋落の原因となったという者もいる。

2006年7月29日、プリンス・バディ・アジャムと対戦し、3-0の判定勝ち[2]

2008年1月19日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにてフェリックス・トリニダードと対戦。随所に往年の動きを見せ7Rと10Rに2度のダウンを奪い、3-0(116-110、116-110、117-109)の判定勝ち。

2008年11月8日、ジョー・カルザゲと対戦、元々は9月20日に予定されていたものがカルザゲがトレーニング中に右手を負傷したことにより2週間延期されている。1Rにダウンを奪うシーンを見せたものの、その後はカルザゲの連打を攻略できず、0-3(109-118、109-118、109-118)の判定負け。

2009年3月21日、空位のNABO北米ライトヘビー級王座をオマール・シェイカと決定戦で争い、5RTKO勝利で再起を果たすとともに同王座を獲得した。8月15日、ジェフ・レイシーに10R終了TKO勝利を収めて同王座の初防衛に成功した。

2009年12月2日、IBO世界クルーザー級タイトルマッチで王者ダニー・グリーンに挑戦し、初回TKO負けを喫した[3]

2010年4月3日、バーナード・ホプキンスとおよそ17年ぶりに再戦し、0-3の判定負けを喫した[4]

2011年5月21日、ロシアデニス・レベデフと対戦、衰えを隠せないジョーンズであったが何とか最終10ラウンドまで持ちこたえる、しかし試合終了まで残り数十秒で強烈な右からアッパー、棒立ちになったところにさらに右をもらい数分間キャンバスから起き上がれないほどのダメージを受け10RKO負け。

2012年6月30日、ポーランドでパウエル・グラツキーと対戦、ジョーンズは6ラウンドにダウンをするが僅差の判定勝利を挙げた。元々はダビド・コステッキーと対戦予定であったが、コステッキーが犯罪組織の首謀者であるとして実刑判決を受けたことで試合数日前に急遽用意された対戦相手がグラツキーであった[5]

2013年12月4日、1年半ぶりの試合でベアナックルボクシングのチャンピオンとしても知られているボビー・ガンと対戦予定と発表される。この試合を行う動機について、ジョーンズは2014年早々にも対戦する可能性がある元UFCチャンピオン、アンデウソン・シウバとの試合へ向けての調整試合であるとした[6]。しかしこの試合は中止となり代わりに12月21日にロシアで試合をすることが発表された[7]

2013年12月21日、ロシアでWBUクルーザー級王座決定戦を行い12回判定で勝ち、王座を獲得した。

2013年12月28日、対戦を希望していたアンデウソン・シウバがUFCの試合で敗北、ロイ・ジョーンズは新たに対戦したい相手として同じく総合格闘技の選手であるニック・ディアスを指名した[8]

税金滞納

2011年4月、2003年から2004年の税金を滞納しており追徴課税を含めて350万ドル(約3億5千万円)の税金未払いがあることが報じられる[9]

獲得タイトル

ペイ・パー・ビュー売上げ

日付 イベント 売上げ テレビ局
テンプレート:年月日 ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. バーナード・ホプキンス 2 14万件 HBO
テンプレート:年月日 ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. ジョー・カルザゲ 22万件 HBO
テンプレート:年月日 ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. フェリックス・トリニダード 50万件 HBO
テンプレート:年月日 ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. アントニオ・ターバー 3 40万件 HBO
テンプレート:年月日 ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. アントニオ・ターバー 2 36万件 HBO
テンプレート:年月日 ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. アントニオ・ターバー 1 30万件 HBO
テンプレート:年月日 ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. ジョン・ルイス 52万件 HBO
テンプレート:年月日 ロイ・ジョーンズ・ジュニア vs. ジェームズ・トニー 30万件 HBO

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

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テンプレート:Championshiptitleスーパー王座3
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 テンプレート:Cite web
  2. ロイ・ジョーンズ再起 アジャムに大差判定 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2006年8月2日
  3. ジョーンズ初回持たず……グリーンにTKO敗 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年12月3日
  4. ボクシング=ホプキンスがジョーンズに勝利、17年ぶり雪辱 Reuters 2010年4月5日
  5. テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web
  8. テンプレート:Cite web
  9. テンプレート:Cite web