NOMOベースボールクラブ
テンプレート:社会人野球チーム 特定非営利活動法人 NOMO Baseball Club(ノモ・ベースボールクラブ)は、兵庫県豊岡市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球チームである。野茂英雄によって設立された。
概要
社会人野球・新日鐵堺(現在休部)出身のメジャーリーガー・野茂英雄が、社会人野球界の縮小を憂い、また、若い野球選手たちに活動の場を提供するために、2003年に立ち上げたチームである。活動資金は野茂が大半を出資するほか、運営母体の特定非営利活動法人の会員からの会費・寄付によっている。
2005年、都市対抗野球大会阪和地区2次予選で、7年連続本大会出場を狙っていた松下電器を敗者復活戦で5-3で破って予選敗退に追い込むなど快進撃を続け、近畿予選で本大会最後の切符を争う三つ巴を制し、創部から2年で都市対抗野球初出場を決めた。同大会では初戦敗退に終わったが、同時に初出場を決めていた全日本クラブ野球選手権では初出場で初優勝を飾った。また同年、プロ野球ドラフト会議で所属の柳田殖生が中日ドラゴンズから指名を受けて入団するなど、2005年はNOMOベースボールクラブにとって印象的な年となった。
2006年、社会人野球日本選手権大会への初出場を決め、前年の都市対抗野球、クラブ選手権と併せ、社会人野球史上初の「日本野球連盟主催3大大会すべてに出場したチーム」となった。
選手は、日中は他企業の正社員やアルバイトをして働き、夜間に野球の練習を行う日々を送っている。また、プロで活躍する選手の輩出を目指しているため、スカウトへの露出が高い独立リーグや企業チームに所属選手が移籍することについては寛容である。
豊岡市へ移転
2011年2月22日、堺浜野球場が阪神高速6号大和川線の建設用地となることから、堺市からの本拠地移転を余儀なくされていることが明らかになった。
当初、移転先の候補として、佐賀県鳥栖市(鳥栖市民球場)などが挙がっていた[1]が、同年5月にはクラブ関係者への取材により、鳥栖市に加え千葉県柏市も移転先の候補に挙がったことも報じられた[2]。候補のうち、鳥栖市は市長が歓迎の意向を示したが、使用条件で折り合わず、12月に移転を断念[3]。このため、クラブ側が移転先を公募[4]。
2012年5月31日、兵庫県豊岡市への移転を正式に発表。2013年1月に豊岡市での活動を開始した。今後は兵庫県立但馬ドームなど4施設で活動する予定[5]。
設立・沿革
- 2003年 「NOMO Baseball Club」創部
- 2004年 大阪府よりNPO法人として認証を受ける
- 2004年 都市対抗野球予選初参加、1次予選突破
- 2005年 都市対抗野球初出場(初戦敗退)、クラブ選手権初出場(優勝)
- 2006年 日本選手権初出場(初戦敗退)
- 2013年 兵庫県豊岡市へ本拠地移転[6]
主要大会の出場歴・最高成績
- 都市対抗野球 出場1回
- 日本選手権 出場1回
- クラブ選手権 出場3回、優勝1回(2005年)
- JABA高砂市長杯争奪大会 優勝1回(2006年)
主な出身プロ野球選手
- NPB
- 柳田殖生内野手(2005年、中日ドラゴンズ大学生・社会人ドラフト5巡目)
- 藤江均投手(2008年、東邦ガスから横浜ベイスターズドラフト2巡目)
- 福元淳史内野手(2008年、読売ジャイアンツ育成選手ドラフト4巡目)
- 杉原洋投手(2009年、横浜ベイスターズと契約)
- MLB
- 須田健太投手(2008年、シアトル・マリナーズとマイナー契約)
- 独立リーグ
- 宇高直志投手(2008年、紀州レンジャーズ)
- 碩野佑紀捕手(2008年、大阪ゴールドビリケーンズ)
元プロ野球選手の競技者登録
- 佐野慈紀コーチ(退部)
- 沼田浩投手(退部)
- 光山英和コーチ(退部)
- 鈴木俊雄コーチ(退部)
- 辻本聡外野手(元高知ファイティングドッグス、退部)
- 小池秀郎コーチ兼投手(退部)
- 杉原洋投手(横浜ベイスターズに入団したため退部)
- 柳田将利内野手
- この他に、小池と同時に楽天を自由契約になった高村祐が小池と共に同クラブの練習に参加していた。(ただし入部はせず。)小池・高村両投手は、野茂と同じくドラフト1位で近鉄に入団した選手である。
その他
ユニフォームのデザインは、野茂が中学生以来のファンだというガンダムがモチーフになっている。