李恵宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年8月19日 (月) 12:02時点における122.90.97.30 (トーク)による版
テンプレート:基礎情報 ベトナムの君主 李恵宗(りけいそう、越:Lý Huệ Tông、1194年 - 1225年、在位:1211年 - 1224年)は、李朝の第8代皇帝。第7代皇帝高宗の子。諱は李旵(また『元史』では李昊旵と書かれる)。
1209年、内乱によって父とともに都を追われた際、陳氏によって皇帝に擁立されたことがある(『大越史略』)。
1210年、父の死去で正式に即位したが、父同様に暗愚な人物で国政を顧みなかったため、外戚の陳守度に政治の実権を握られた。
1224年、皇位の簒奪を目論む陳守度によって廃され、自身の次女でわずか7歳の李昭皇を擁立される。そして翌1225年、邪魔者となった恵宗は、簒奪の用意を整えた陳守度によって自殺を余儀なくされた。
|
|