東京都交通局7000形電車
テンプレート:鉄道車両 東京都交通局7000形電車(とうきょうとこうつうきょく7000がたでんしゃ)は、1954年(昭和29年)に登場した東京都交通局の路面電車(都電)。
目次
登場から荒川線成立まで
1954年に前中戸で登場した。
大きく3つのグループに分けられ、杉並線を除く各線に配備された。扉の下に見通し窓があり、前面が二枚窓と言う点は共通である。
1次グループ(7001 - 7030)
1954年に製造されたグループで、新造車と車体更新車がある。正面窓は運転台側が一段で、反対側は二段窓の二枚窓である。ボディは全く同じだが、細かく分けると以下の3タイプに分かれる。
7001 - 7019
- 新造車で、台車はD18形を採用した。それまでの都電のイメージを刷新する塗色と外見で登場したが、走行メカニズムはそれ以前と同じ直接制御である。
- 前面二枚窓で、左側に運転台が寄っており、前扉との関係で当時の都電の運転士から運転台が狭いとの指摘があり、あまり評判が良くなかったことから、1965年(昭和40年)以降に全車中央窓の大きい3枚窓(2000形に酷似)に改造されている。
- 大塚車庫や早稲田車庫などを中心に配置され、路線縮小後も転属して活躍していた。トップナンバーの7001を始めとしたほとんどの車両が、墨田・江東両区の路線が全廃される1972年(昭和47年)まで使用された。
7020
- 直角カルダン駆動を採用した高性能試作車として製造された。間接制御車で、台車は東芝の試作台車TT-101形である。
- その他の特殊車と同様に三田車庫に在籍し、1967年(昭和42年)の同所廃止と運命を共にした。
7021 - 7030
- 1000形と1100形の下回りを流用して新造車体を乗せた車体更新車で、元車の台車のD10形およびD16形を流用している。
- 目黒車庫や神明町車庫、さらには荒川車庫にも在籍していたが、都電第1次廃止の1967年に余剰車として全車廃車になっている。7020とこのグループは前面窓は最後まで二枚窓だった。
2次グループ(7031 - 7050)
- 1955年(昭和30年)に製造された。台車はD20形である。このグループから間接制御車となった。
- 不評だった運転台の広さも拡張され、また正面窓は視界改善のためどちらも1枚(運転台側の窓がわずかに小さくなっている)となった。また、車体の角がさらに丸みを帯びたデザインになっている。
- 1970年(昭和45年)に7032 - 7034・7036 - 7042の10両が函館市交通局(函館市電)に譲渡されて1000形となったが、譲渡されなかった10両は錦糸堀車庫に集結して1972年まで活躍した。
3次グループ(7051 - 7093)
- 2次グループの約半年後となる1955年末から翌1956年にかけて製造された。台車はD20A形である。正面窓が2次グループより天地方向に拡大されているのが大きな特徴である。なお、原型はZパンタであったが、後にビューゲルに改造されている。
荒川線成立後
東京都電は全廃の予定だったが、27・32系統の存続が決まり、路線縮小の中で、製造年の新しい3次グループは次第に荒川電車営業所に集められた。そして、1972年11月の墨田・江東区の路線廃止後、柳島車庫在籍の一部が移籍し、7055 - 7089(7079・7080・7085・7088は欠番)のうち31両が残った。残存した車両は6000形、7500形などと共通で運用された。
1974年、27・32系統を統合し荒川線に改称。更に、1978年のワンマン化に向け、1977年から31両全車をアルナ工機(現・アルナ車両)製の新造車体へ更新した。</br> 運転台マスコンなどの電装品、台車やブレーキなどの主要機器はすべて流用された。「日本車輌名古屋」銘のマスコン機器などに種車の名残を留める。</br> 同時に車両番号は新たに付番され、7001 - 7031に揃えられた。よって現行の車両番号は2代目となる。なお、新番号は改造順ではなく旧番の若い順から付番された。</br>
新造車体は更新車ながら前面1枚窓・直線基調の軽快なデザインで、その後日本各地に登場した広島電鉄3500形等の路面電車に影響を与えた。</br> また、ホームの嵩上げによるステップ廃止と、車内への車椅子スペース設置といったバリアフリーへの対応が先進的と評価され、1978年鉄道友の会のローレル賞を受賞した。
1985年(昭和60年)から、7500形の車体更新に合わせた冷房化改造、及び塗装変更(写真参照)、LED式車内旅客案内表示器の新設、集電装置をビューゲルからパンタグラフに交換するなどの改造が行われた。[1]
8501への代替などで1991年1月に7011が、同年3月に7006が廃車された。7011は市川市に保存され、7006は江東区の施設に置かれている。
1992年6月、8502、8503の導入により7009と7028が廃車され非冷房車のまま豊橋鉄道に譲渡され、モ3500形として使用されている。
1993年7月、8504、8505の導入で7000形の非冷房車として残っていた7012と7014も廃車された。その為荒川線では7504のみが非冷房車となった。この2両は当初都電博物館の展示物として保存を構想されていたが資金難のため断念され解体された。
1999年4月28日、7017と7021が廃車されモ3500形の増備車として豊橋鉄道に譲渡された。
2002年から、前面行先表示器の1枠化、車内旅客案内表示器と降車用ボタンの更新などを含めた再更新工事が施工された。前面と側面の行先表示器は従来の幕式からLED式に交換されたが、車両によって書体が異なっている。 また、7001、7019、7020、7022、7025の5両が集電装置をシングルアーム式パンタグラフへ交換された。</br> しかし、2011年度に8500形へのシングルアームパンタグラフ転用に伴い、後述の追突事故により廃車となった7020を除く4両は再び菱形パンタグラフ(7500形の廃車による発生品)に戻された。
2005年、7022(旧7076)の塗装を車体更新時のものに復元。同時に除雪用ラッセルの取付対応工事も施された。[2]
2007年5月26日から6月10日まで、9000形の登場を記念して7001・7008・7010の3両の車体に花電車のラッピングが施された。</br> 側面には「平成19年 新しく懐かしく レトロ車両 都電荒川線が変わります」のメッセージが掲げられていた。また、車番表示も書体を変更し、ドア上部にのみに施されていた。
2013年11月9日、7001がツーマン時代の赤帯塗装となった。更新車体と赤帯塗装の組み合わせはこれが初である。
現状
2013年2月現在も19両が在籍し、今なお荒川線で最多の車両数を占める。1955年12月の新製配置以来荒川電車営業所を離れたことがない車両は7001(旧7055)が唯一である[3]。
しかしながら、既に台車等は新製から50年以上経過しており、更新車体も新製から30年以上経過することから、徐々にではあるが廃車が進行しつつある。
7020は2006年6月13日に梶原 - 栄町間で発生した追突事故で破損し、修復されぬまま休車となった。破損部にブルーシートをかけられ、シングルアーム式パンタグラフと冷房装置(1基)が撤去された状態で荒川車庫内に留置されていたが、2008年3月31日付で廃車された。[4]
2011年3月31日、7004が廃車となった。これは2012年(平成24年)度に計画されていた、「東京都交通局次期経営計画 ステップアップ2010」における7000形1両の廃車・新型車両への置換えを前倒ししたもので、同年3月13日をもって営業運転を終了した7500形最後の2両(7511と7512)と共に廃車したものである。
同年9月、廃車理由は不明ながら、7027が廃車された。同月の7511と7512、7004の解体工場への搬出の際に併せて搬出・解体された模様。
2012年12月28日から7008の前面の銀杏マークが青く塗られ、マークの中に「おつかれさま」と記載された。その2日後に同車は営業運転を終了。2012年の大晦日をもって除籍された。2月17日に同車のお別れイベントとしてミニ撮影会が行われた。[5]
「東京都交通局経営計画2013」によると7000形を2014年度に3両、2015年度に7両を新型車両(形式不明)に置き換える予定である。置き換えにより3年後には9両に減り最多車両数を8800形の10両に明け渡す。また置き換え対象の車両番号の告知はないものの引退する7000形は7008同様、お別れイベントはする模様。
主要諸元(荒川線成立後)
- 製造初年:1954年
- 全長:12,520mm
- 全幅:2,203mm
- 全高:3,685mm
- 軌間:1,372mm
- 電気方式:直流 600V(架空電車線方式)
- 自重:16.5t
- 定員(着席):96(24)人
- 電動機出力・駆動方式:60kW×2、吊り掛け式1段減速平歯車方式
保存車
- 7021 - 福島県いわき市内の小学校に静態保存されていたが、現在は解体されたと思われる。
- 7022 - 1968年に廃車後、車体が埼玉県入間郡毛呂山町の「新しき村」に静態保存されている。この車体は八高線高麗川 - 毛呂間の車窓からも確認できる。
- 7024 - 廃車後、静岡県富士市の元吉原小学校に静態保存されている。
- 7030 - 廃車後、千葉県市川市の東京養育院に静態保存されていたが、現在は解体されたと思われる。
- 7033(→函館市企業局交通部1006号)- 廃車後、函館酪農公社に静態保存されている。
- (更新)7006 - 廃車後、前頭部のみが東京都交通局の研修所に研修用施設として置かれている。通常は非公開。
- (更新)7011 - 廃車後、千葉県市川市の大和田公園に静態保存されている。柵で囲まれているため、部品の紛失は少ない。
- (再更新)7008 - 廃車後、東京都大田区に譲渡され、 区立萩中公園内の『がらくた公園』に静態保存されている。[6][7][8]
- Toei-7000 7024.jpg
7000形7024
(2002年 / 静岡県富士市 元吉原小学校) - Toei-7000 7011.jpg
更新7000形7011
(2007年10月 / 千葉県市川市 大和田公園)
他の事業者への影響
- 土佐電気鉄道600形電車は、登場当時の本形式をモデルに製造された車両である。
- 豊橋鉄道モ3500形電車は、本形式の7009・7028・7017・7021を譲渡・改造した車両である。改造後、以下のように改番されている
- 7009 → モ3501(1992年譲渡)
- 7028 → モ3502(同上)
- 7017 → モ3503(2000年譲渡)
- 7021 → モ3504(同上)
その他
- 2007年9月29日の「荒川線の日」イベントにおいて、7003のLEDに自分で行先などを表示できるコーナーが設けられた。
- 2010年(平成22年)2月22日に発表された「東京都交通局次期経営計画 ステップアップ2010」によると、本形式のうち1両を2012年(平成24年)度に廃車し、新型車両(8800形)に置き換えると記載されている。
脚注
- ↑ 離線対策と、冷房装置のインバーターへの干渉を防ぐ為に交換された。7500形更新車も当初はビューゲルを装備していたが、早期に換装された。
- ↑ かつては6000形6152号が降雪時に運用されたが、同車の廃車による。
- ↑ 3次グループで荒川電車営業所に新製配置されたのは同車のみであった。旧7056→7002も新製配置は荒川車庫だったが、こちらは転属歴がある。
- ↑ 『鉄道ダイヤ情報』2008年7月号
- ↑ 『荒川線7008号車ミニ撮影会』開催 | 鉄道ニュース | 鉄道ファン・railf.jp
- ↑ 余談だが、ここはかつて7500形7502号が保存されていた場所でもある。
- ↑ 都電7008号車が大田区の公園へ | 鉄道ニュース | 鉄道ファン・railf.jp
- ↑ 萩中公園の都電7008号車が公開される | 鉄道ニュース | 鉄道ファン・railf.jp