エメラルド・タブレット

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エメラルド・タブレットテンプレート:Lang-en-short, テンプレート:Lang-la-short)は、錬金術の基本思想(あるいは奥義)が記された板のこと。エメラルド板エメラルド碑文とも。 ただし、現存するのはいずれもその翻訳(と称する文章)だけで、実物は確認されていない。

概要

伝説によると、この碑文はヘルメース自身がエメラルドの板に刻んだもので、ギザの大ピラミッドの内部にあったヘルメス・トリスメギストスの墓から、アブラハムの妻サラあるいはテュアナのアポロニオスによって発見されたものであるという。あるいは、洞窟の中でエメラルドの板に彫りこまれたのをアレクサンダー大王が発見したともいう。

12世紀にアラビア語からラテン語に翻訳されて中世ヨーロッパにもたらされた。最初期のラテン語訳には、セビリャのフアン(en:John of Seville)によって翻訳された偽アリストテレスの『秘中の秘』(1140年頃 en:Secretum Secretorum)に含まれるものや、サンタリャのウゴによるものがある。17世紀のイエズス会士アタナシウス・キルヒャーによる訳が広く知られている。パラケルススは、シュポンハイムの僧院長ヨハネス・トリテミウスが父ヴィルヘルムに贈ったエメラルド・タブレット(診療室に貼ってあった)を見て育ったという。1828年にエジプトテーベの墳墓から発見されたライデン・パピルスには、ギリシャ語のエメラルド・タブレットが含まれていた[1]

これに記されたうちで最も有名な言葉は、錬金術の基本原理である「下のものは上のもののごとく、上のものは下のもののごとし」であろう。これは大宇宙と小宇宙の相似ないし照応について述べたものである。

第2のエメラルド・タブレット

アメリカ合衆国ミュリエル・ドリールが1939年、1948年に編集出版した著作[2]によると、1925年にメキシコユカタン半島ピラミッドので12枚のエメラルド色のタブレットを発見して写しとり、翻訳後にタブレットをピラミッドにもどしたという。これはオリジナルのエメラルド・タブレットであり、著者はアトランティス人トート(紀元前5万年から紀元前3万6000年の約1万6000年間古代エジプトを支配し大ピラミッドを作ったという)で、彼が5万歳のとき(ヘルメス・トリスメギストスの2回目の転生であるという)著したという。タブレットIに『われ、アトランティス人トートは、諸神秘の精通者、諸記録の看守者、力ある王、正魔術師にして代々代々生き続けるものなるが、今やアメンティーのホールに去り行かんとするにあたり、後世の手引きとせんため、偉大なるアトランティスの強大なる智恵の記録を書きとどめんとす』と記載されているとされ、このエメラルド・タブレットはアトランティスの巨大なる智慧の記録であるとされている。なお、通常のエメラルド・タブレットはヘルメス・トリスメギストス3回目の転生時のもので、劣るものだという。

この説を疑問視する声は多い。

第3のエメラルド・タブレット

日本の作家、上坂晨はその著作[3]の中で、エジプト旅行中にアラビア人から購入したエメラルド・タブレット・パピルスについて述べている。これは写真撮影の後にユダヤ系アメリカ人に翻訳を依頼したところ、抄訳のみ帰ってきたという。

脚注

  1. 歴史読本臨時増刊85-9 特集世界驚異の占い・霊術・魔術 新人物往来社 1985年(昭和60年))pp86-95 山内雅夫「エメラルド・タブレットが明かす錬金術の秘法」
  2. テンプレート:Cite book
  3. テンプレート:Cite book ja-jp

外部リンク

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