栄螺堂
栄螺堂(さざえどう、さざいどう)は、江戸時代後期の東北~関東地方に見られた特異な建築様式の仏堂である。堂内は回廊となっており、順路に沿って三十三観音や百観音などが配置され堂内を進むだけで巡礼が叶うような構造となっている。仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づいて、右回りに三回匝る(めぐる)ことで参拝できるようになっていることから、本来は三匝堂(さんそうどう)というが、螺旋構造や外観がサザエに似ていることから通称で「栄螺堂」、「サザエ堂」などと呼ばれる。
現存する栄螺堂の例
- 弘前禅林街の栄螺堂(青森県弘前市)
- 旧正宗寺 三匝堂(福島県会津若松市) - 下記参照
- 長禅寺 三世堂(茨城県取手市)
- 曹源寺 本堂(群馬県太田市)
- 成身院 百体観音堂(埼玉県児玉町)
- 總持寺(西新井大師)三匝堂(東京都足立区)
- 大正大学 すがも鴨台観音堂(東京都豊島区) - 現代の建築例。2013年5月落慶。
旧正宗寺三匝堂(会津さざえ堂)
二重らせん構造の斜路をもつ特異な建物として知られる。福島県会津若松市の白虎隊の墓所のある飯盛山の中腹に建つ。通称は「会津さざえ堂」もしくは単に「さざえ堂」で、正式名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)[1]という。
平面六角形の特異な建物である。概ね三層構造といえるが、内部には二重らせん構造の斜路が続き、右回りに上る斜路と左回りに下りる斜路が別々に存在する。入口から斜路を最上階まで上り、他者とすれ違うことなく、別の斜路を降りて出口から出ることができる。
かつてこの地にあった正宗寺の仏堂として、江戸時代後期の寛政8年(1796年)(『新編会津風土記』による)に当時の住職であった郁堂(いくどう)が建立したものである。当時は阿弥陀如来を本尊とし、斜路には三十三観音像が安置されていたという。神仏混交の信仰形態をもっていた正宗寺は、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、以後、栄螺堂は個人の所有となっている。また、堂内にあった三十三観音像は他所へ移され、代わりに「皇朝二十四孝」の額が取りつけられている。
同名の堂は他所にもあるが、旧正宗寺三匝堂のような特異な内部構造をもった堂は他に知られず、稀有な例として1995年6月27日付けで国の重要文化財に指定された。
なお、二重らせん構造を有する近代以前の建築物としては、世界では他にフランス、ロワール地方のシャンボール城内部にある、レオナルド・ダ・ヴィンチの設計による二重螺旋階段が知られている。レオナルドのアイデアが蘭書に掲載され、めぐりめぐって会津地方まで伝わったのではないかという説もあるが、物証は無く定かではない。
所在地
- 福島県会津若松市一箕町八幡弁天下1404 ([[[:テンプレート:座標URL]]37_30_16.3_N_139_57_14.3_E_region:JP-07_type:landmark_scale:20000&title=%E4%BC%9A%E6%B4%A5%E3%81%95%E3%81%96%E3%81%88%E5%A0%82 地図])
交通アクセス
脚注
関連項目
外部リンク
- さざえ堂とは? - わかりやすい解説
- 三匝堂(栄螺堂) - 各地の栄螺堂の詳細な解説と写真
- さざえ堂(国指定重要文化財) - 会津若松観光ナビ
- さざえ堂 曹源寺(群馬県太田市)
- 大正大学すがも鴨台観音堂