「本多康明」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
 
(相違点なし)

2013年10月14日 (月) 22:59時点における最新版

本多 康明(ほんだ やすあきら、宝永6年(1709年)- 享保15年8月10日1730年9月21日))は、信濃飯山藩の第2代藩主。広孝系本多家6代。

飯山藩初代藩主本多助芳の三男。母は小笠原長重の養女。官位は従五位下。豊後守。

1709年正月、江戸藩邸で生まれる。幼名は猪三郎、直三郎。三男だったが長兄と次兄が早世していたため、1725年の父の死去により跡を継いだ。1730年、帰国中に病に倒れ、同年8月10日に飯山城にて死去した。享年22。嗣子がなく、家督は弟の助有が継いだ。

墓所は飯山市奈良沢の忠恩寺。


テンプレート:飯山藩主