「レベッカ (映画)」の版間の差分
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テンプレート:Infobox Film 『レベッカ』(Rebecca)は、1940年のアメリカ映画。ダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ』を原作とした、アルフレッド・ヒッチコックの映画作品。 英国で活躍していたヒッチコックの渡米第一作となったゴシック・ロマン。制作はセルズニック・プロ、米国内配給はユナイテッド・アーティスツが担当した。アカデミー賞最優秀作品賞と撮影賞(黒白部門)を獲得した。
1940年にアメリカ合衆国で制作・公開。日本での公開は1951年4月。オリジナル上映時間は130分。
ストーリー
ヴァン・ホッパー夫人の付き人としてモンテカルロのホテルにやってきた「わたし」は、そこでイギリスの大金持ちであるマキシムと出会い、2人は恋に落ちる。マキシムは1年前にヨット事故で前妻レベッカを亡くしていたのだが、彼女はマキシムの後妻として、イギリスの彼の大邸宅テンプレート:仮リンクへ行く決意をする。多くの使用人がいる邸宅の女主人として、控えめながらやっていこうとする彼女だったが、かつてのレベッカづきの使用人で、邸宅を取り仕切るダンヴァース夫人にはなかなか受け入れてもらえない。次第に「わたし」は前妻レベッカの見えない影に精神的に追いつめられていき、遂にはダンヴァース夫人に言われるまま、窓から身を投げようとしてしまう。そのとき、偶然に上がった花火の音で「わたし」は正気を取り戻すが、その花火は難破船が見つかったことを知らせるものであった。見つかった船はレベッカのヨットで、船内からレベッカの死体が見つかる。レベッカは嵐の夜にヨットで遭難し、流れ着いた死体をマキシムが確認して既に葬られていたことから、改めてレベッカの死因が調べられることになる。レベッカの「従兄(cousin)」と称する愛人だったジャックはマキシムによる殺害の可能性を主張する。疑心暗鬼に陥った「わたし」にマキシムはレベッカの死の真相を語る。その日、かねてよりレベッカの放蕩に悩まされ続けていたマキシムは、彼を罵倒するレベッカに詰め寄ったところ、彼女が倒れて頭を打って死んでしまったために、その遺体を運び入れたヨットごと沈めたのである。一方、死の当日にレベッカと面会した医師が、レベッカが不治の癌に冒されていたことを証言したことから、レベッカの死は自殺によるものと断定される。実は、自殺を決めたレベッカは自らの病を隠したままマキシムに自分を殺させようとしていたのである。レベッカによる呪縛からようやく解き放たれた2人だったが、屋敷は狂ったダンヴァース夫人によって火をつけられ、彼女とともに焼け落ちて行った。
スタッフ
- 監督:アルフレッド・ヒッチコック
- 製作:デヴィッド・O・セルズニック
- 原作:ダフネ・デュ・モーリア
- 脚色:ロバート・E・シャーウッド、ジョーン・ハリソン
- 撮影:ジョージ・バーンズ
- 音楽:フランツ・ワックスマン
キャスト
- わたし - ジョーン・フォンテイン(日本語吹替:武藤礼子): ド・ウィンター夫人となった女性。
- マキシム・ド・ウィンター - ローレンス・オリヴィエ(日本語吹替:家弓家正): テンプレート:仮リンクの主人。
- ダンヴァース夫人 - ジュディス・アンダーソン: マンダレイのハウスキーパー(家政婦長)。
- ジャック・ファヴェル - ジョージ・サンダース(日本語吹替:川久保潔): レベッカの愛人。
- フランク・クローリー - レジナルド・デニー: マキシムの不動産管理人で友人。
- ベアトリス・レイシー - グラディス・クーパー: マキシムの姉。
- ジュリアン大佐 - C・オーブリー・スミス
- ジャイルズ・レイシー少佐 - ナイジェル・ブルース: ベアトリスの夫。
- イーディス・ヴァン・ホッパー夫人 - テンプレート:仮リンク: 「わたし」の雇い主。
- ベイカー医師 - レオ・G・キャロル: レベッカの主治医。
- 日本語吹替版のテレビ放送
主な受賞歴
アカデミー賞
- ノミネート
- アカデミー監督賞:アルフレッド・ヒッチコック
- アカデミー主演男優賞:ローレンス・オリヴィエ
- アカデミー主演女優賞:ジョーン・フォンテイン
- アカデミー助演女優賞:ジュディス・アンダーソン
- アカデミー脚色賞:テンプレート:仮リンク、テンプレート:仮リンク
- アカデミー美術賞(白黒部門):ライル・R・ウィーラー
- アカデミー作曲賞:フランツ・ワックスマン
- アカデミー編集賞:ハル・C・カーン
- アカデミー特殊効果賞:テンプレート:仮リンク(写真部門)、テンプレート:仮リンク(音響部門)
製作
ヒッチコックは制作の数年前に「レベッカ」の映画化を検討したが、版権が取れずに断念した経緯があったため、この作品を手がけることには乗り気だったと思われる。しかし、それまで常に自作の脚本に関与してきたのに「レベッカ」のシナリオには参加できず、しかも制作中にプロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックから多くの横やりが入っており、ヒッチコックにとってはおおいに不本意な制作環境であったという。
セルズニックは配役にあたってオリヴィア・デ・ハヴィランドを主人公にと考えていたが、彼女はすでにサミュエル・ゴールドウィンの作品の出演が決まっていたので諦めた。その後彼女の妹のジョーン・フォンテインに打診したが、彼女のエージェントは全く別の女優を推薦してきた。結局ロレッタ・ヤング、ヴィヴィアン・リー、アン・バクスター(彼女はヒッチコックのお気に入りで後に『私は告発する』(1953)で出演させている)なども選択肢になったが、特に役作りの上でヤングとリーは間違った選択になると思い、結局ジョーン・フォンテインに落ち着いた。しかし、当時のフォンテインは大スターではなかったため、スタジオ側は彼女が主演と聞いて落胆したと伝えられる。
セルズニックはキャロル・ロンバードを主演させるために5万ドルの映画権料を支払い、男性側の主演にロナルド・コールマンを考えていた。しかし、近年発見されたセルズニックのメモによると、これではロンバードに引っ張られて殺人の陰謀に加わったような印象を受けるとして、コールマンは役を降りた。次の選択にはローレンス・オリヴィエやウィリアム・パウエル、レスリー・ハワードなども候補に挙がったが、結局オリヴィエがパウエルより少ない10万ドルのギャラで同意したため、決定となった。
ヒッチコックはセルズニックがセットに押しかけるのを拒んだ。その結果、ラッシュを見たセルズニックから膨大なメモを受け取るようになった。そのメモの指摘の中には、オリヴィエの演技のペースが遅いことも指摘してあった。
オリヴィエとしては、当時の恋人ヴィヴィアン・リーとの共演を望んでいたため、撮影中ジョーン・フォンテインには冷たい態度をとった。オリヴィエの態度にフォンテインが恐れを抱いたのに気付いたヒッチコックは、スタジオにいる全員に対して、フォンテインに対してつらく当たるように伝えた。これによって、フォンテインから恥ずかしがりで打ち解けられないという演技を引き出したのであった。
劇中、フォンテイン演じる主人公のファーストネームは一度も語られることはない。原作者のデュ・モーリアは撮影中セルズニックに「ダフネ」と名前を付けるように頼んだが断られた。
ダンヴァース夫人は登場する際に歩く描写はほとんどなく、気付くと主人公の近くに立っている。これはもちろんヒッチコックの演出である。幽霊のように突如現れるイメージを繰り返すことで、ダンヴァース夫人が亡きレベッカ(とその屋敷)に取り憑かれた、主人公と対峙する側の存在であることをヒッチコックは強調している。
セルズニックはロケ地としてニューイングランド地方を中心に米国中を捜させたが、ぴったり条件に合う場所がなかった。そこで、遠景はミニチュアで作られたが、この世ならぬ雰囲気をかもし出すためにはかえって効果的であった。またヒッチコックは屋敷の立地を示すような映像を意図的に描かず、屋敷の存在をさらに神秘的なものにしている。
セルズニックは燃えさかる家の煙突から「R」の文字の煙を出させたかったが、ヒッチコックは技術上の困難さを理由に断った。代わりに枕の上で「R」の文字を炎が作ることにした。
『レベッカ』は1940年のアカデミー作品賞を受賞。ヒッチコックは監督賞にもノミネートされていたが、結局監督賞は『怒りの葡萄』のジョン・フォードが受賞した。ヒッチコックにとっては生涯唯一の最優秀作品賞であるが、フランソワ・トリュフォーとの対談では「あれ(作品賞)はセルズニックに与えられた賞だ」と語り、実際にオスカー像もヒッチコックには与えられなかった(ヒッチコックはその後4度も監督賞にノミネートされたが結局受賞することはなく、壇上でオスカーを手にしたのは1967年、アーヴィング・タールバーグ記念賞(功労賞)の一度きりであった)。
DVD
本作品は日本国内では著作権保護期間が満了しパブリックドメインとなっているため、非常に安価なパブリックドメインDVDが数多く販売されている。
- 日本語吹替
- スタッフ
- 演出:多部博之
- 翻訳:塩崎裕久
- 録音スタジオ:ビーライン
- 制作:ミック・エンターテイメント
- 発売元:マックスター、ミック・エンターテイメント